希望のりんごツアーに行ってきました。
希望のりんごツアー201810.6〜7
陸前高田希望のりんごツアーに行ってきました。
1日目
一関からツアーのバスは出発します。バスの中で挨拶するパンラボの池田浩明さん。
気仙沼の斉吉商店の鼎さんでお昼ご飯、
戻り鰹やマグロのメンチカツ、秋刀魚で出汁をとったお味噌汁などを堪能。
そのあと気仙沼ニッティングを見学しました、ニットデザイナーの三國万里子さんのデザインのニットを編み手さん達が編んでいます。お願いしてから3ヶ月程待つと編み手さんの似顔絵入りで送られて来るそうです。
陸前高田金野果樹園にて自分たちがオーナーになっている紅玉のりんごの木からたわわに実った実をもぎ取り箱詰めしました。
普段は金野さんが面倒見て下さっています。5月に摘果していらない蕾をとり、大きく果実になりそうな蕾だけを残したのですが結構沢山実がなっていました。赤い実を少し持ち上げて取り、カゴに入れていきます。それをカゴに集めて軽トラに乗せて運んでもらい、箱詰めするのです。何日かしたらグロワールにも届きます。
3年前スーパーマーケットマイヤさんの裏にみんなでりんごを植えたのですが、そこの畑に行って来ました。ジョナ、シナノゴールド、フジなど沢山実がなっていて感激(^o^)
希望のりんごツアー2日目
おー!何という清々しい朝!
と思って朝食にテラスに行ったら凄い太陽!台風来てるけど晴れて良かった。皆さんはヨガでスッキリ。
バーベキュー場に移動中台風25号の影響で物凄い風が吹いて砂嵐が!
ほんまるの家という講習会場で伊原シェフと神林シェフがアップフェルシュトゥルーデルのお教室を地元の方として、その横のバーベキュー場にてバーベキューと巻きパンの予定だったけど全部風で飛ばされそうだったので急遽果樹園のお庭を使わせて頂くことに。
炭を起こすのも金野さんに手伝って頂き、何から何までお世話になり申し訳ない限り。マホちゃんも頑張ってくれました。
巻きパンの生地は伊原シェフに作って頂いたのを運んで貰って、生地をバンジュウに入れ、カードで端から細くカットして棒に巻いて行くのですが、基本巻きパンをコンロで焼く人が棒をくるくると回し生地を均一な細さで巻いていくのです。植物性油脂のスプレーがあればそれを棒に吹き付けてから巻くと生地離れが良いです。結構ふんわりと巻いていくのがコツと教わりました。
アップルガールズさん達も合流して楽しいひと時が過ごせました。
らら・ぱれっとの岡本啓子さんも美味しいりんごジュースとジャムを持ってきてくれました。陸前高田の米崎りんご100%です。
皆さま今回も色々お世話になりありがとうございました。
後書き
このツアーで帰りに思った事
陸前高田について
この地を訪れるのは震災後何度目になったでしょうか。
街は以前とは違う形になり大きな施設や道路、海の見えない防波堤が出来ました。現地の方のお話を伺っていると街がこうなって良かったと思ってる人は少ないように感じます。こうなる代償があまりにも大きすぎる。失った物を埋めるのは難しい。もし仮に過疎化が進んで誰も来ない街だったとしても海も松も見えず家族も親戚も友だちも戻らない街に比べたら、いや、比べるまでもなく元の生活が良いとみんな答えると思います。
自分達が生まれ育ち少しずつ時代とともに変わっていった街、以前そこにあったものの全てが無くなり変わってしまった。今でもお友達の死を悔やんでる人がいる。あの時もっと強く避難するように言ってたら亡くならなかったのにと。そうしたら今でもお付き合いが続いていたのにと。
陸前高田を訪れ、知り合いになった方が震災で失ったものの悲しみを自分が埋められるなんて考えてもいないですが、自分の関わりになった全ての人が少しでも癒されたら良いのにと考えています。
いつもそんな思いで陸前高田に出かけ、そしてこれで良かったのかわからないままもやもやした気持ちで帰ってきます。他の方はどうかわからないけど自分自身はいつもそうです。
りんご農家の金野秀一さんと奥様の眞喜子さん。いつも親切にして貰っています。多分私達の思いに付き合ってくれてるんだろうなと思っています。
今まで全く縁のなかった遠い土地ですし、知らないままだったかもしれない陸前高田。金野さんはいつも「自分達は陸前高田に来てくれた人達をもてなす、それがこの街の為であるし復興の手助けになると思ってるから。」と仰います。ツアーもいつか来なくなることも何かしたいと言う気持ちもわかってくれた上であえて乗ってくれてるんだろう。いつもそれを肌で感じてその懐の深さにありがたいと思っています。私は金野さんの街の為を思う男泣きを何度も見ていますし本当に自分の地元を大切にされているんだなと分かっています。それを知った上で今では向かう先を急に変えたりする事は出来ない程その土地に愛着があり、人に愛着があります。私達はその絆を構築する為に通っているんだと今では考えています。
希望のりんごについて
グロワールは希望のりんごの木のオーナーです。
まずは希望のりんごというNPO法人について少しご説明します。
希望のりんごの【活動理念】HPより
「原点」
陸前高田の丘の上。
津波に平野部すべてが飲み込まれる一方、それより高いところにあったりんごの木は辛くも難を逃れました。
2011年秋、傷跡が痛ましかった風景の中に、りんごの実が点々と赤く彩る様は、まるで希望を告げているように見えました。
りんごとともに必ず復興はできる。
この思いが私たちの活動の原点です。
http://www.kibounoringo.com/concept
私が初めて陸前高田を訪れた時はまだ津波の傷跡が生々しく残っていて「この線まで津波が来た」というラインがはっきり分かりました。米崎町にはアップルロードという道があって、そのギリギリまで波が来ていましたがその上のりんご農家さんのりんごの木は残ったのです。
大阪からは遠く、ひょっとしたら行くことが無かったかもしれない三陸。池田さんのブログを通して知ることが出来た事。りんご農家さんや女性会を大切にして行こう!グロワールはそんな風に思っています。そして希望のりんごを通じてりんご農家さんのりんごの木のオーナーになりました。
5月に伺った時はグロワールのりんごの木は可愛らしい花を沢山付けていました。
りんご農家さんのお仕事は大変で、花が咲き終わったら小さい蕾を取っていくのです。広い農園の全ての小さな蕾を選んで取って行くのは大変な作業です。秋になるとその努力が実って切なくも愛おしい甘酸っぱいりんごが出来上がります。その頃グロワールにもりんごが届き、りんごの実をスライスして窯で乾燥させてドライアップルにしたりんご食パンや、コンフィチュールを使ったデニッシュなどがお店に並ぶのです。グロワールはりんごのパンは希望のりんごしか使いませんので、1月末には終売になりますが、また秋になりりんごの実がなったら美味しいりんごを使ったパンを作る事が出来るのです。
2017年5月13日〜14日まで春の「希望のりんごツアー」に行ってきました。
グロワールは陸前高田のりんご農家さんのりんごの木のオーナーです。初めは細かった苗木も花が沢山咲いていました。
りんごの花はこれから不要な花を摘んで大きな実がなるようにしなければなりません。とても大変で手がかかる作業です。いつかこのりんごの木にも沢山の実がつきますように! それといつもりんご農家のおじさんにお世話になってる気持ちを忘れないようにしたいと思います。
秋になったらこちらの農家さんのりんごの実で美味しいパンを作りますのでお楽しみに(^o^)。通販期間は毎年11月から1月中旬くらいまでになります。
希望のりんごフェイスブックページはこちらです。
2014年10月のパンラボツアー
こんにちは
またまた今頃になりますが、去年の10月陸前高田に行ってきました。
パンラボ主催のツアーです。
陸前高田では希望の架け橋で土砂を運び続けていました。
工事は長く続きそうですね。
上の写真は災害公営住宅です。団地が新しくできていて丁度取材のカメラとか来ていました。
いつもお世話になっているりんご農家の金野さんです。
またお会いできて嬉しいです。
りんごの実も赤々としていました。
お好み焼き食べて頂きました。
いつも美味しいお料理ありがとうございます。
中小企業ベーカリーの加藤さんです。
いつもお世話になります。
金野直売センターの清子さん♡
奥さまにどんこ汁作って頂きました~~>▽<
ヘルシーでナチュラルなお味♡
りんご農家の奥さまにはいつもスローフードの大切さを
教えて頂いています。お刺身のツマも買ったやつではなく
ついた大根を、市販のダシは使わず昆布と具材のだしを♡
勉強になることばかり。地元のお野菜の調理法なども教えて頂きました。
いつも会うのが楽しみな方ばかりです。
空気はすがすがしく故郷の様な気がしてきます。
次の日の朝は碁石海岸へ連れて行って頂きました。
初めて行きましたが、あんなに松が生えてるんですね~~
波がドバ~~ンでした。
今まで庭園の松しか見たことがなく、自生する何千本と生える松の木を見ながら思いました。
こんなに松の木に囲まれて松が生えてるのが当たり前の所に住んでいたら
流された高田の松を見た時人々はさぞ悲嘆にくれたんだろう
生まれた時からそこに松があるのが当たり前でいつも見ていた風景
それがあるからこそ1本だけ残った松を大切にするんだと。
波は穏やかで静かなのに
あの日津波が来なければ
私の大好きなアップルガールズを紹介します。
米崎町女性会の方達です。
優しい笑顔でいつもたまにしか行かない私にも接して下さいます。
ほんとうにありがたいです。
勿論震災当時色んな形のご苦労があったと思います。
米崎町の為に尽くして下さった方、残念ながらご家族を亡くされて
仮設暮らしを余儀なくされた方、工場を再建された方。
本当に様々なご苦労をされて、それなのに逆にいつもしてもらってばかり。
ありがとうございます。
今度も会うのが楽しみです。
ラ・テールの中村シェフの監修の元
金野果樹園のりんごジャム作り
アップルガールズの皆さんいつもご協力ありがとうございます。
そしてツアーの方たちが出来たりんごジャムの瓶に
ラベルを作って貼るワークショップ
次の日はホタテ漁船へ
第八十八丸又丸の金野広悦船長です。
ジューシーでキラキラした新鮮なホタテです。
その横では牡蠣の船も丁度海から戻って来た所でした。
牡蠣満載!
その後は米崎小学校仮設でバーベキュー
トングの使い過ぎで手を痛めてしまいましたね><
ありがとうございます。
盛りだくさんで楽しいツアーでした
沢山大切なものを頂きました。
2014年7月の陸前高田
こんにちは、今頃になりますが2014年7月に陸前高田に行ってきました。
今回もバーベキューのお手伝いをさせて頂きました。
主催はパンラボの池田浩明さんです。
色んなケーキ屋さんやパン屋さんやりんご農家の金野さん
米崎町婦人会の皆さん、お手伝いの皆さんに会いました。
私は大阪からお手伝いに行ったのですが
一ノ関から気仙沼を通って陸前高田に行く途中
気仙沼漁港では、震災当時に壊れた施設が
新しく生まれ変わっていました。
シャークミュージアムや魚市場が気仙沼漁港の前にできていました。
気仙沼漁港ではカツオ漁船からコンテナにカツオがドサーーっと移される所がばっちり見れました。
市場の中は結構賑わっていて人がいっぱいいました。
去年の7月の写真ですが希望の架け橋というベルトコンベアーが出来ていてびっくり
全長3km迫力の長さ
イオンが出来ていて開店して1週間目でしたー
便利になる反面近くのスーパーも心配です。
珍しいレタスのビニールハウス、空気で膨らませているそうですよ。
和野会館ではアップルガールズと加藤先生がパンと和菓子の講習会中
旅の目的の一つ鈴木建具店へお邪魔しました。
津波で家も工場も流されてしまいましたが再建された建具店。
可愛らしい看板ですね~
工場の中はレアな機械でいっぱい
機械が何台もありますが、全て用途が違いますー
お仕事に精を出すご主人
お二人の息はばっちりでした。
鈴木建具店の前から海を見た所
地震の時奥さんはジムで体操中だった。帰って孫を迎えに行こうとしていると近所の人が車の中から津波が来てるから逃げろ!と叫んだ、見ると津波からの距離は200m。急いで車に乗り横を走っている人2人を乗せ命からがら逃げ出し、高台から見ると自分の今まで築き上げてきた家が工場が車が波に飲み込まれていくところだった。茫然自失の毎日だが、幸いにもご家族は無事。もしそのまま誰にも会わずにお孫さんを迎えに行ってたら本当に危なかった。仕事を再開してからは殆ど休みなく働き家と工場を再建なされた。心残りは孫の為にこつこつ仕事終わりに作り続けた茶箪笥だ。おそらく当時の機械の揃え具合と奥さんの腕前ならさぞかし素晴らしいものだったろうと推測される。こんなくちおしい話があろうか。
お2人の手仕事日本
次の日は和野会館でバーベキューをしました。この日は暑かったですね~~
金野直売センターからの差し入れのホタテとホヤ!ゴージャス=
超感動!夢のケーキ ラ・テールの中村シェフとリリエンベルグの横溝シェフの合作
この日はパンラボの池田 浩明さんと米崎婦人会の菊池 清子さんのお誕生会でした^^
ホタテ漁船第八十八丸又丸に乗船
なんととれとれのホタテを試食できました^^
去年植えさせて貰ったりんごの木に実が!
りんご農家の金野 秀一さんのりんごの説明を伺いました。
今回も有意義なツアーに参加できてとても嬉しかったです。
希望のりんご りんごの日
2015.10~18グロワールはパンラボさん主催のりんごの日というイベントに参加しました。
10.11は東京のパン屋さんと
17.18日は大阪のイベントで一緒に
17.18日は週刊大阪日日新聞さんの声掛けで陸前高田のりんご、ジャム、ジュースを
参加したお店お店の気持ちを込めてあるお店は配ったりあるお店は販売したり加工したりと様々でした。
参加して下さった店舗の皆様、心からお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。
週刊大阪日日新聞の方が陸前高田まで赴き、現地の方の現状をご覧になってそれを是非伝えようと
各店舗を廻って参加店の皆さんに声掛けをして下さった事、感謝しています。
おまけにフェイスブックのページ「希望のりんご りんごの日」まで作って下さり、グロワールも色んな店舗を廻って投稿したりしました。
当日の紙面はこちらです。
17日は希望のりんご販売物産展が千林のエール館で行われ、東京からわざわざパンラボの池田浩明さんが駆け付けて下さいました。池田さんは来るなりマイクを握り、陸前高田、米崎町、希望のりんごへの熱い思いを2時間も演説し続けて(涙 おかげでいっぱい人が集まりました。
池田さん、忙しいにもかかわらず来ていただいてありがとうございます。
そして同じ時間に千林商店街のスマイル千林前では、被災地応援メッセージを書いて下さった方に先着100名様にりんごプレゼント。募金もして頂いてありがとうございます!
この企画も希望のりんごの話を聞いてすぐに案を練って企画を考えて下さった千林実行委員会の皆様ありがとうございました。
神戸からわざわざ千林に来て、ふれあい館でりんごのパウンドケーキとコーヒーのポコアポコさん、りんごのホットサンドのボッテガブルーさんお店やチョークアート作家の和田先生ありがとうございました。
18日は城東区のパン屋エトワールさん、旭区清水のカフェチャオッペさんも美味しいりんごのパンやりんごなどの販売をしてくださいました。
旭区大宮のmachi cafeさんではツキノスミカのライブイベントがありました。そこでも皆さんに池田さんから米崎りんごに込めた思いを伝えて貰いました。
ツキノスミカさんは夜の部でかくれという居酒屋さんでライブがありました。お疲れ様です。
この2日間は50店舗のお店が米崎りんごのイベントをしてくださいましたが全部回れなくて残念です(´ω`;)
この日は大阪の城東区、鶴見区、都島区、旭区、守口など至る所に希望のりんごのポスターが貼られていて、色んな方が色んな思いで参加してるんだな~としみじみ。。。
グロワールでは期間中りんごのパン、ジュース、ジャムを販売していました。
また来年も参加できると嬉しいです。
影で活躍してくれた週間大阪日日新聞の記者さん、自分は組織の人間だからと名前を出せなかったのですが、その熱い気持ちのおかげでみんな良い形でイベントに参加できてそれぞれの思いで形にできたと思い感謝してます。
そしてお仕事もあるのにみんなの為に頑張って下さった希望のりんごのスタッフさん本当にお疲れ様です~(^_^)
りんごの日
りんごの日
グロワールでは 1月10日(土)~18日(日)
岩手県陸前高田の希望のりんごをお取り寄せしてリンゴのパンを販売致します。
希望のりんごは東北大震災で被災した土地に残ったりんご農家のりんごの木に
花が咲き、りんごの実が赤々と実ったのを見て名づけられたものです。
陸前高田にはリンゴ農家の沢山あるアップルロードというものがあります。
その農家さんを支援する事で陸前高田を応援するのがりんごの日の目的です。
10,11日は東京のパン屋さんと(パンラボ主催http://panlabo.jugem.jp/?eid=1882)
17.18日は大阪の参加協力店と同時開催致します。大阪の参加店の詳細は
17日配布の週刊大阪日日新聞にて紹介されます。
期間限定 りんごラインナップ
☆繋ぐ(つなぐ) 天然酵母の生地とりんごの生地を編み合わせたパンです。
☆りんご食パン リンゴピューレとりんごの果実を使った食パンです。
☆希望のりんご(ラ ポンム デ レスポワール) りんごの果実をカットして トッピングしたデニッシュです。
☆金野さんちのゴロゴロコンフイチュール 陸前高田の金野さんの 作った有機栽培のりんごを使った
りんごのブリオッシュです。
☆りんごのブリオッシュ りんごのコンポートをサンドしました。
☆リンゴとクルミの天然酵母パン りんご、レーズン、くるみの天然酵母パン。
もぎたてのりんごを使ったりんごジュースやSAVE TAKATAのりんごジャムも販売致します。お楽しみに。
東京の参加店さんはこちらのパンラボブログをチェック!
希望のりんごについて
こんにちは
希望のりんご
グロワールのラインでよくこの言葉を聞かれたことが
あると思います。
今日は詳しくお話と説明をさせて下さい。
希望のりんご代表で、パンラボの池田さんはパン研究家でライターさんです。
東京のパン屋を200件巡り、全国のパン屋にも精通している方です。
まず初めに
2011.3.11に東北を津波が襲い、
沿岸部はことごとく被害にあいました。
東京で池田浩明さんはそれをテレビで見ていて、物資が何もないところが沢山あるのを知り、とりあえず知り合いのパン屋さんに頼んでパンをありったけのパンをかき集め、ボヌールの箕輪シェフと東北に向かい、避難所を紹介してもらっては周り、誰も援助がこない避難所にも行ってパンを渡したりして、各地を周り
最終的に陸前高田の米崎町にある堂の前避難所の方々と知り合いになり、そこで支援をする事になりました。
そこの避難所の代表者は、リンゴ農家の和野下果樹園の金野秀一さん、米崎女性会の菊池清子さんです、
そのお2人と話を通して米崎小の避難所に(のちに仮設住宅に)パンを届けたり、実際に東京の有名店のパン屋さんのシェフに現地に行って貰ってパンを作っては食べて頂いたりしていました。
パンラボブログ パンを届ける はこちら
*陸前高田の津波の被害状況について
- 人口23,300人(H22国勢調査)
- 浸水範囲内人口16,640人 *1
- 死者1,555人 (H24年7月18日時点)*2
- 行方不明者225人 (同上)*2
- 家屋全壊+半壊3,341棟 (同上)*2
- 犠牲者率(%)=死者行方不明者数/浸水範囲内人口×100=10.7
金野さんのおたくは坂の上にあり、陸前高田の海がよく見えます。
陸前高田の被害はそれはそれは広範囲で亡くなった方と行方不明の方で合わせて1700人以上もいらっしゃいました。
津波が押し寄せ、自分の育った町、知り合いや親戚、友達がなくなり、もう2度と立ち直れないと思ったそうです。
池田さんは陸前高田を何度か訪れた時、
悲惨な現場でリンゴ農家の可愛らしいリンゴの花が生き生きと咲き、実っていくのを見て町を救うのはこれだと思ったそうです。そして希望のりんごと名前をつけました。
実際陸前高田は元々温暖で過ごしやすくリンゴの育成に向いていて、
内地よりも美味しいリンゴができるのでリンゴ農家が沢山あり、アップルロード(岩手県陸前高田市にある、岩手県道38号大船渡広田陸前高田線(主要地方道)の同市米田町から広田町まで4.2kmのバイパス区間の愛称。)というおしゃれな名前の道もあるぐらいなのです。
池田さんはパン屋さんたちと何度か訪れていくうちに、他の支援団体と知り合いになったり仲間が増えて、他にもリンゴを支援する人がいて、何人かで希望のりんごというグループを作りました。
池田さんが書いた希望のりんごからのメッセージは
「十年後、りんごの木の下で会いましょう。
陸前高田の人たちとの、心のつながりを確かなものにするため、私たちは十年スパンで、復興を見守っていこうとしています。
この春、植樹するりんごの木が成木となる七年後は、震災十周年。
その節目に向け、りんごの実があふれるばかりになる陸前高田市米崎町を作りたいと思っています。」
りんごの日
というのがあるのですが、これは池田さんの知り合いのパン屋さんが参加して米崎りんごを使い、りんごのパンを焼いてその日に販売するというものです。
2016年1月(17.18日予定)りんごの日が行われる予定です。
希望のりんごを使ったりんごの果汁だけのジュースと米崎りんごのジャムも販売されます。
米崎りんごの注文は希望のりんごの通信販売、
おでんせ商店街にてフォームから注文する事になります。
まだ作成中なので程なくしてアップされると思います。
上の写真はりんごジュース点「ともる」です。
興味のある方は1月初め頃パンラボブログや希望のりんごのページをチェックしてみて下さい。
パンラボツアーの事 第2回陸前高田「以心伝心」バスツアーに参加しました。
りんごを愛する人々
なぜリンゴ農家のおじさんはこんなにパン屋さんを大切にしているのか
なぜパン屋さん達はこんなにリンゴを大切にしているのか
それがすごく知りたかった
そして陸前高田で みて きいて 感じたこと
東北大震災から2年と11か月経ちました
前回陸前高田にお邪魔してから2度目の訪問になります
11月15日私は岩手県気仙沼からBRT]に乗り陸前高田に到着してすぐコミセンに行きました
そこでは「中小ベーカリー」の加藤先生が地元のアップルロード付近に女性会の方々アップルガールズと手作りパン教室の下準備中でした。前日に生地作りをして翌日女性会の人たちとフライパンでパンを焼くのです。おいしいさつまいもとりんごがあったので急遽パンに使うことにしたそうです。
加藤先生
アップルガールズ
次の日のバーベキューで出す
さんまのつみれ汁の用意をしてくださっていました
金野直売センターの菊池清子さん
用意して頂いてありがとうございます。
その日の晩は、リンゴ農家の金野さん(和野果樹園)ご夫婦と加藤先生と元米崎町女性会会長の菊池清子さんと同席させて頂きお話を聞くことができました。
(陸前高田 りんご農家の金野さんご夫婦)
1回陸前高田を訪れたとき金野さんの奥さんが「せっかく陸前高田にきたから泊まっていけば良かったね」と言って下さったのです。その後もよくしてくださり、なぜこんなに親切にしてくれるのかと思っていました。
その理由をお話を聞いて知ることができました。
お話は池田さんを誉める会に
パンラボの池田さんが東北支援の為に初めて陸前高田を訪れた時、知り合いもいず不思議な帽子を被って金野さんを訪れ仰ったそうです 「パンを配りたい」 と。
金野さんは、当時色んな支援がある中、後で請求書が回ってくることもあるから気を付けてらっしゃったので、その時女性会の会長をしていた菊池さんにも対応してもらったのですが
「怪しまれて当然です」と池田さんはおっしゃったそうです。
勿論池田さんは怪しい人ではなく、(パンラボ第1回参照)菊池さんがお礼状を出されたのが縁で交流が深まり繋がりは回を増すごとに徐々に大きくなり、パンラボ池田さんとパン屋さんの被災地訪問は9回目になりました。加藤先生は池田さんの事を「あの人は人間ができている」と仰っていました。チャレンジドカップ、ZZCベーカリーなどで資金を捻出して支援にあてておられるのです。実際何度も訪問されているので頭が下がるとも。
金野さんの高田への熱い思い
金野さんの果樹園は高台にあり、とても見晴らしがよく高田の町を一望でき。小高い丘からは高田の海が見渡せます。震災があった時津波で流された松の木を見て「高田の町は終わりだ」と思ったそうです。でもパンラボさんは何度も何度もやってくる、また次の年もまた次の年も。「パン屋さんから元気を貰った」金野さんは何度も仰いました。ご自身は被災せずとも長く親しんできた高田の町の親族や知り合いのご家族が被災されたり懇意にしてきた方が沢山犠牲になっている。涙もろくなってテレビで事件をみてもすぐ津波で犠牲になった方やそのご家族を重ね合わせてたまらないお気持ちになるという。徐々に支援の手も減る中「2年経ってもやってくるパン屋さんに言葉では言い表せないけど心に元気を貰った。パン屋さんから貰ったパワーを仮設のみんなに分けてやりてえ」
金野さんの目に涙が光った
菊池清子さんというパワフルな人
米崎町の女性会のしっかりしたまとめ役菊池さんはいつも一生懸命でとても素敵な人です。私もこの方には何度もお手紙を頂いたりメールをやり取りして変な意味ではなく本当に大好きな人だ。金野さんの奥さんも菊池さんのお仕事の素早さや行動力にいつも感心してらっしゃるそうです。
中小ベーカリー経営アドバイザーの加藤 晃先生
「自分のパンは自慢しない、作ったものの評価は食べる人がするもの、
それを見て初めておいしいといってもいいんだ。」
16日の朝早く
大きな車に乗りあって東京からパン屋さんのご一行が陸前高田に到着しました。その姿はなんだか高田の町を救いに来たヒーローみたいでした。朗らかですごく元気でパワーに溢れ周りの空気ががらりと変わる程でした。
(語り部の新沼さんとパンラボツアー)
(石川啄木の石碑)
(追悼施設)
その日は朝一番に高田を訪れたみんなで語り部さんのお話を聞くことになっていました。初めに行ったところは高田松原の道の駅でした。そこでパンラボ池田さんとこんがりパンダパンクラブの人、NPO法人ラブギャザリングのメンバーと合流しました。高田の松原とは震災前陸前高田を代表する風光明媚な場所で、海岸には県最大の海水浴場があり毎年3万人以上の人が訪れていた朝日の美しい場所、7万本もの松が海際に延々と続く景勝の一つでした。高田の松原道の駅は観光物産センターやイベント広場、野外ステージがあり広さからも賑わっていたことを偲ばせます。今は広場には追悼施設が建てられ私たちもここで亡くなったかたのご冥福をお祈りしました。、
(中は被害にあった」ときのままだ、この建物は保存されるらしい)
奇跡の一本松
(高田の風景)
海岸から小高い所までのいたるところに重機があり、前回来た時は瓦礫の撤去で忙しいようでしたが、今はその瓦礫を篩いにかけて細かい砂にし、それを高く積み上げる作業をしていました。
(いたるところで重機で砂を篩い分けている)
(高く積み上げられた盛り土)
7万本の松が流されましたが1本だけ残った松。気仙沼からBRTに乗ってくるとこのすぐ近くの「奇跡の一本松」停車場で停まってくれるので見に行くことは可能です。ただし次の移動手段は地元の交通機関でご確認下さい。
奇跡の一本松の背後には被災した陸前高田ユースホステルが残る。
人には2種類あると思います。
思い出を残しておきたい
過去の事を思い出したくない
後者は勿論つらい思い出を伴っているのです。死者1600人行方不明215人 住んでいた家を高台から流されるのを、松の木が流されるのを高く上がった水煙とともに見ていた方のお気持ちは計り知れません。
現地の方とお話していると津波で被災された事をみな一様に「流された」と表現されます
この言葉の裏には、津波を思い出したくなけれど使わなければいけない言葉としての「流された」があるとして受け止められます。
駅前
かって駅前には相当な賑わいがあり夏は海に冬は三陸のごちそうを食べにたくさんの観光客が利用していたのでしょう、主要な機能がこの周辺に集結していたことが語り部さんの言葉で説明されます。駅前にお住いの方の多くはまさかここまで流されるとは思わず避難しない方も多かったそうです。しかし津波は予想に反し3階の高さまで来てしまい高田の町をおそったのです。
(ここはかって高田の中心街だった)
(時刻表を沢山の観光客が見ていたに違いない)
私たちは語り部の新沼さんの話を染み入るように聞いているしかありませんでした。
いよいよバーベキュー
その後私たちは3手にわかれました
加藤先生は朝からコミセンで米崎女性会の方々とパン教室で、フライパンで焼くパンを作っておられました。
(パン作りに勤しむアップルガールズ)
和野会館
ラ・テール中村先生とラブギャザリングの何名かの方と私は和野会館の担当でした。米崎小でのバーベキューは池田さんがブログに書いておられます。
パンケーキの材料は大阪から送り、地元のものはマイヤさんで買い求めバーベキューのお膳立ては
池田さんや菊池さん地元の方が器具や具材を用意してくださいました。
(お手伝いをして下さったラブギャザリングの辻さん)
(蒸したばかりの岩牡蠣)
和野会館は高台の上の方に建っていました。会館の前にちょっとした広場があり、眺めは最高でした。現地の人と一緒に米粉のパンケーキ作りをして、ヨーグルトも入っていて焼いたら優しい味になったと思います。
パワーのある人はどこにいても人を惹きつける。すべての工程が中村先生の仕切りで順調に運んで行く。
(ラ・テールの中村 逸平さん)
外にホットプレートを置いてもらって焼いていると、隣に座っていたアップルガールズがいたので電話で仲間を呼んで貰い、ドンドン集まってくれたのです。勿論前もって配って頂いた辻めぐみさん(ラブギャザリング)の作って下さったチラシが皆さんに行き渡っていたからこそです。
中村先生の素晴らしいバーベキューさばきにより何ともすごいごちそうが並んだ。ホタテ、牡蠣、しか肉、ホルモン、和牛、現地の新鮮野菜!!中村先生はパンケーキ焼いてる私にまでおすそ分けをわざわざ持ってきて下さり「焼いてる方の立場がわかるから」と言ってくださいました。ありがとうございます。
(金野直売センターのホタテにお醤油をひとたらし。ふっくらやわらかい)
パンケーキはなるべく現地のものを意識して日粉さんのあきたこまちの米粉、岩手県の卵、大船渡牛乳を使い、そえたイチゴも岩手県のものだ。そして金野さんの和野果樹園のりんごのコンフイチュールのトッピングも。やはり美味しい果物を使うといいですね。
そこへ加藤パン教室のパン登場!菊池さんお配りありがとうございます。
(フライパンで焼く、さつまいもとゴマのパン)
(いつもイキイキ菊池さん)
手伝って下さった現地のご婦人。手作りのちゃんちゃんこお似合いでした。
色合いもばっちり!
楽しい時間もあっという間に過ぎて心残りだけど、、、
金野果樹園のりんご
りんごの実は少し持ち上げてひねって取らないとりんごについてる「え」が取れてしまう。
(王林)
そして木の上の方になっている太陽があたって赤くなってる王林を小学生みたいに探した。
広い広いりんご畑のリンゴの木を見せてもらいこんな風にシール貼るんだーと思いました。
(朝日も夕日も拝める高台)
民宿志田
弘田町字根岬にある民宿志田へ
(フェイスブックでいいね!をお願いします。)
そこは周りがリアスの海で囲まれ魚や貝が豊富な所です。すごく優しそうな奥さんと娘さん、仕事が生きがいそうな大将、可愛い元気なお孫さんがいて、宿泊費6000円では申し訳ないごちそうがでました。
大船渡
次の朝は旅行に同行してらっしゃる水泳選手の成田真由美さん達をお迎えに大船渡プラザホテルへ行くために志田を後にした。
志田は海の先にありそこから海際の道を通って行った道すがら、ありありと いたるところに津波の痕がある。瓦礫は整備されていたが そこに家があり 畑があり 生活していた 気配が走る車の両側で広がっている。起伏のあるところは周りの被害に対して家や古い蔵などが残っている。延々と広い野原の様になってしまった元家屋や畑の跡地にまだ建ったばかりの家がポツリポツリと道沿いに散らばっている。
ちょっとした高低差が明暗を分ける
大船渡ホテルの横にしっかりした感じの元ショップで中が波にすっかり流された建物が何件かある。持ち主が取り壊しを望まなければ国が一緒に瓦礫を撤去する時にそのままになってしまうので後に費用は自分持ちになるらしい。
それでも残しておきたい
もし自分なら
と思う
前回お伝えした鈴木建具店さんの苦労もそうだがもし自分なら一体どうしただろうか。
先祖の守ってきた土地に家を建て 色々なものを家族とともに育ててきた想い。そんな想いの詰まった建物なのではないだろうか。
そんな思いがあるのではないだろうか。
まだまだそんな家々のある大船渡
大船渡ホテルは2011年12月5日に復活した
私もその様子を遠く離れた大阪でテレビで見ていた。
流された全ての家々にホテルに海際の建物に思い出のある場所がリアス式海岸沿いに延々と続いている。
手放したくない家族
手放したくない家
手放したくない想い
それでも住んでいる人は優しく強く私にも話を聞かせてくれた。震災後家族の所に身を寄せていたけど仲が良すぎてよく喧嘩をした。でも今はご主人と2人で住んでるから気が楽になったわと。
米崎町
復活したマイヤアップルロード店は朝10時の開店とともに車でドンドン人が来る賑わいぶりだった。その横のさか道は方向が海の方に向かっていて流された土地だった。そこは平地に整備されていて沢山のパイプが等間隔に立てられていた。
そこに穴を掘りりんごの苗木を植える。リンゴを掘る際の説明を聞いてみんな各自スコップを持って土を掘り始めた。
(説明をして下さるリンゴ農家の方)
パンラボレンジャーヒーローズ
東京で1流の仕事をなさってバーベキューの仕切りも1流で何度も支援に来られているパン屋さんケーキ屋さんがスコップで土を掘っているお姿を見てなんだか高田を救いに来たヒーローみたいだなと思った。私のような遠く離れた地の小さなパン屋から見ればあのパン屋さんこのパン屋さんとコーフン?するところだがその様な目でヒーローズを見てるのは私だけかもしれない。その人たちが目の前でシャベルで土を掘っていれば私もできないなりに手に力が入る。
パン屋の皆さんやパンラボさんの仲間の結束は固い
もう何度も同じ思いをして同じものを見、優しさに溢れた背中で穴を掘る皆さん。
。
私の掘った下手くそな穴を残らず追いかけて手直ししてくださった吉田 清人さん。
ありがとうございました。
(どんどん出来上がっていく植樹作業)
りんご農家の皆さんによって運ばれてきた苗木を皆さんで植えて下さいました。お疲れ様です。
(ヒーローズとリンゴ農家の方々)
旅も終盤に差し掛かってきました。そのあと待望の金野直売センターへ
金野直売センターは被災され、お店を失った事を口惜しく語ってらっしゃったので、今春開業して食堂を再開された時は私も心から嬉しかったです。だからもう一度お会いできるのが楽しみでした。金野さんのお店は10年前に奥さまが亡くなり、味付けが変わってしまいましたがある時奥さまのレシピが出てきて、またお客さんが戻ってこられたそうです。その思いが強く営業再開にいたったのではないでしょうか?今は妹さんや清子さんも力を合わせてお店を守ってらっしゃいます。
食堂は大忙し
(生きのいいホタテが磯ラーメンに使われる)
(おもてなしの精神の清子さんは金野さんの妹さん)
人気の磯ラーメン
このラーメンを食べる為に長蛇の列が
アツアツ野菜味噌ラーメン
いつも頑張り屋さんの清子さんや可愛いアップルガールズにまた会える日を夢見て
私も大阪に戻って頑張ります。
繋がり
人数が多く初めてお会いした方も多かったのですが何人かの人とお話できました。
パンラボさんの活動を少しでも広める為にお写真の担当をされていました。
特定非営利活動法人ラブギャザリングの辻 めぐみさん、深尾さん、安藤さん
これからもよろしくお願い致します。
私は帰りの新幹線で辻さんとお話させて貰いましたが、言葉の端々に
高田のりんごの事を真剣に考えてらっしゃるのだな~とすごく伝わってきたんです。
辻さんの願い通り米崎リンゴが復興の足掛かりになったらいいですね。
和野果樹園の奥さん
(右の方)
東北の人はみんなこうなんだろうか、色が透き通るように白く、旦那さんの為に
協力を惜しまず、地域の為に生きる。素晴らしい奥さまです。
本当にお世話になりました。ありがとうございます。送迎ありがとうございました助かりました。
パンラボの池田さん
池田さんの情熱が皆さんをまとめてひっぱっている
池田さんの新刊「パン欲」は12月10日ごろ発売予定です。
全国のパン屋さんを訪れたルポです。発売が楽しみです。
(金野直売センターの美味しいイカを頬張る池田さん)
終わりに
今回陸前高田米崎町にお邪魔して沢山の事を勉強させて頂きました。金野さんとパン屋さんとパンラボさんとの絆がとても強く結びついていてすごく繋がりを大切にしてらっしゃるんだなあと思いました。こうやって陸前高田に赴けるのもグロワールのスタッフの人たちが快く出してくれたからです。
そして道中励ましたりリプライを下さったりしてくださったツイッターのフオロワーさん本当にありがとうございました。おかげで行き帰りも寂しくなかったです。直接言えなくて残念ですが感謝しています。
最後まで読んで下さってありがとうございました。