2013年11月30日(土)

パンラボツアーの事  第2回陸前高田「以心伝心」バスツアーに参加しました。

 

りんごを愛する人々

 

 

なぜリンゴ農家のおじさんはこんなにパン屋さんを大切にしているのか

なぜパン屋さん達はこんなにリンゴを大切にしているのか

 

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それがすごく知りたかった

 

そして陸前高田で みて きいて 感じたこと

 

東北大震災から2年と11か月経ちました

前回陸前高田にお邪魔してから2度目の訪問になります

前回の様子はこちら

11月15日私は岩手県気仙沼からBRT]に乗り陸前高田に到着してすぐコミセンに行きました

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そこでは「中小ベーカリー」の加藤先生が地元のアップルロード付近に女性会の方々アップルガールズと手作りパン教室の下準備中でした。前日に生地作りをして翌日女性会の人たちとフライパンでパンを焼くのです。おいしいさつまいもとりんごがあったので急遽パンに使うことにしたそうです。

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加藤先生

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アップルガールズ

 

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次の日のバーベキューで出す

さんまのつみれ汁の用意をしてくださっていました

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金野直売センターの菊池清子さん

 

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用意して頂いてありがとうございます。

 

 

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その日の晩は、リンゴ農家の金野さん(和野果樹園)ご夫婦と加藤先生と元米崎町女性会会長の菊池清子さんと同席させて頂きお話を聞くことができました。

 

 

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(陸前高田 りんご農家の金野さんご夫婦)

 

1回陸前高田を訪れたとき金野さんの奥さんが「せっかく陸前高田にきたから泊まっていけば良かったね」と言って下さったのです。その後もよくしてくださり、なぜこんなに親切にしてくれるのかと思っていました。

その理由をお話を聞いて知ることができました。

 

お話は池田さんを誉める会に

 

パンラボの池田さんが東北支援の為に初めて陸前高田を訪れた時、知り合いもいず不思議な帽子を被って金野さんを訪れ仰ったそうです 「パンを配りたい」 と。

金野さんは、当時色んな支援がある中、後で請求書が回ってくることもあるから気を付けてらっしゃったので、その時女性会の会長をしていた菊池さんにも対応してもらったのですが

「怪しまれて当然です」と池田さんはおっしゃったそうです。

勿論池田さんは怪しい人ではなく、(パンラボ第1回参照)菊池さんがお礼状を出されたのが縁で交流が深まり繋がりは回を増すごとに徐々に大きくなり、パンラボ池田さんとパン屋さんの被災地訪問は9回目になりました。加藤先生は池田さんの事を「あの人は人間ができている」と仰っていました。チャレンジドカップ、ZZCベーカリーなどで資金を捻出して支援にあてておられるのです。実際何度も訪問されているので頭が下がるとも。

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金野さんの高田への熱い思い

 

金野さんの果樹園は高台にあり、とても見晴らしがよく高田の町を一望でき。小高い丘からは高田の海が見渡せます。震災があった時津波で流された松の木を見て「高田の町は終わりだ」と思ったそうです。でもパンラボさんは何度も何度もやってくる、また次の年もまた次の年も。「パン屋さんから元気を貰った」金野さんは何度も仰いました。ご自身は被災せずとも長く親しんできた高田の町の親族や知り合いのご家族が被災されたり懇意にしてきた方が沢山犠牲になっている。涙もろくなってテレビで事件をみてもすぐ津波で犠牲になった方やそのご家族を重ね合わせてたまらないお気持ちになるという。徐々に支援の手も減る中「2年経ってもやってくるパン屋さんに言葉では言い表せないけど心に元気を貰った。パン屋さんから貰ったパワーを仮設のみんなに分けてやりてえ」

 

金野さんの目に涙が光った

 

 

菊池清子さんというパワフルな人

米崎町の女性会のしっかりしたまとめ役菊池さんはいつも一生懸命でとても素敵な人です。私もこの方には何度もお手紙を頂いたりメールをやり取りして変な意味ではなく本当に大好きな人だ。金野さんの奥さんも菊池さんのお仕事の素早さや行動力にいつも感心してらっしゃるそうです。

 

中小ベーカリー経営アドバイザーの加藤 晃先生

 

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「自分のパンは自慢しない、作ったものの評価は食べる人がするもの、

それを見て初めておいしいといってもいいんだ。」

 

 

16日の朝早く

大きな車に乗りあって東京からパン屋さんのご一行が陸前高田に到着しました。その姿はなんだか高田の町を救いに来たヒーローみたいでした。朗らかですごく元気でパワーに溢れ周りの空気ががらりと変わる程でした。

 

 

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(語り部の新沼さんとパンラボツアー)

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(石川啄木の石碑)

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(追悼施設)

 

その日は朝一番に高田を訪れたみんなで語り部さんのお話を聞くことになっていました。初めに行ったところは高田松原の道の駅でした。そこでパンラボ池田さんとこんがりパンダパンクラブの人、NPO法人ラブギャザリングのメンバーと合流しました。高田の松原とは震災前陸前高田を代表する風光明媚な場所で、海岸には県最大の海水浴場があり毎年3万人以上の人が訪れていた朝日の美しい場所、7万本もの松が海際に延々と続く景勝の一つでした。高田の松原道の駅は観光物産センターやイベント広場、野外ステージがあり広さからも賑わっていたことを偲ばせます。今は広場には追悼施設が建てられ私たちもここで亡くなったかたのご冥福をお祈りしました。、

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(中は被害にあった」ときのままだ、この建物は保存されるらしい)

 

 

奇跡の一本松

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(高田の風景)

海岸から小高い所までのいたるところに重機があり、前回来た時は瓦礫の撤去で忙しいようでしたが、今はその瓦礫を篩いにかけて細かい砂にし、それを高く積み上げる作業をしていました。

 

 

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(いたるところで重機で砂を篩い分けている)

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(高く積み上げられた盛り土)

 

7万本の松が流されましたが1本だけ残った松。気仙沼からBRTに乗ってくるとこのすぐ近くの「奇跡の一本松」停車場で停まってくれるので見に行くことは可能です。ただし次の移動手段は地元の交通機関でご確認下さい。

奇跡の一本松の背後には被災した陸前高田ユースホステルが残る。

 

 

人には2種類あると思います。

 

思い出を残しておきたい

過去の事を思い出したくない

 

後者は勿論つらい思い出を伴っているのです。死者1600人行方不明215人 住んでいた家を高台から流されるのを、松の木が流されるのを高く上がった水煙とともに見ていた方のお気持ちは計り知れません。

 

現地の方とお話していると津波で被災された事をみな一様に「流された」と表現されます

この言葉の裏には、津波を思い出したくなけれど使わなければいけない言葉としての「流された」があるとして受け止められます。

 

駅前

 

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かって駅前には相当な賑わいがあり夏は海に冬は三陸のごちそうを食べにたくさんの観光客が利用していたのでしょう、主要な機能がこの周辺に集結していたことが語り部さんの言葉で説明されます。駅前にお住いの方の多くはまさかここまで流されるとは思わず避難しない方も多かったそうです。しかし津波は予想に反し3階の高さまで来てしまい高田の町をおそったのです。

 

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(ここはかって高田の中心街だった)

 

 

 

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(時刻表を沢山の観光客が見ていたに違いない)

 

私たちは語り部の新沼さんの話を染み入るように聞いているしかありませんでした。

 

 

いよいよバーベキュー

 

その後私たちは3手にわかれました

加藤先生は朝からコミセンで米崎女性会の方々とパン教室で、フライパンで焼くパンを作っておられました。

 

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(パン作りに勤しむアップルガールズ)

 

和野会館

 

ラ・テール中村先生とラブギャザリングの何名かの方と私は和野会館の担当でした。米崎小でのバーベキューは池田さんがブログに書いておられます。

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パンケーキの材料は大阪から送り、地元のものはマイヤさんで買い求めバーベキューのお膳立ては

池田さんや菊池さん地元の方が器具や具材を用意してくださいました。

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(お手伝いをして下さったラブギャザリングの辻さん)

 

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(蒸したばかりの岩牡蠣)

和野会館は高台の上の方に建っていました。会館の前にちょっとした広場があり、眺めは最高でした。現地の人と一緒に米粉のパンケーキ作りをして、ヨーグルトも入っていて焼いたら優しい味になったと思います。

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パワーのある人はどこにいても人を惹きつける。すべての工程が中村先生の仕切りで順調に運んで行く。

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(ラ・テールの中村 逸平さん)

 

外にホットプレートを置いてもらって焼いていると、隣に座っていたアップルガールズがいたので電話で仲間を呼んで貰い、ドンドン集まってくれたのです。勿論前もって配って頂いた辻めぐみさん(ラブギャザリング)の作って下さったチラシが皆さんに行き渡っていたからこそです。

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中村先生の素晴らしいバーベキューさばきにより何ともすごいごちそうが並んだ。ホタテ、牡蠣、しか肉、ホルモン、和牛、現地の新鮮野菜!!中村先生はパンケーキ焼いてる私にまでおすそ分けをわざわざ持ってきて下さり「焼いてる方の立場がわかるから」と言ってくださいました。ありがとうございます。

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(金野直売センターのホタテにお醤油をひとたらし。ふっくらやわらかい)

パンケーキはなるべく現地のものを意識して日粉さんのあきたこまちの米粉、岩手県の卵、大船渡牛乳を使い、そえたイチゴも岩手県のものだ。そして金野さんの和野果樹園のりんごのコンフイチュールのトッピングも。やはり美味しい果物を使うといいですね。

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そこへ加藤パン教室のパン登場!菊池さんお配りありがとうございます。

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(フライパンで焼く、さつまいもとゴマのパン)

 

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(いつもイキイキ菊池さん)

手伝って下さった現地のご婦人。手作りのちゃんちゃんこお似合いでした。

色合いもばっちり!

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楽しい時間もあっという間に過ぎて心残りだけど、、、

 

金野果樹園のりんご

 

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りんごの実は少し持ち上げてひねって取らないとりんごについてる「え」が取れてしまう。

 

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(王林)

そして木の上の方になっている太陽があたって赤くなってる王林を小学生みたいに探した。

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広い広いりんご畑のリンゴの木を見せてもらいこんな風にシール貼るんだーと思いました。

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(朝日も夕日も拝める高台)

 

民宿志田

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弘田町字根岬にある民宿志田

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そこは周りがリアスの海で囲まれ魚や貝が豊富な所です。すごく優しそうな奥さんと娘さん、仕事が生きがいそうな大将、可愛い元気なお孫さんがいて、宿泊費6000円では申し訳ないごちそうがでました。

 

大船渡

 

次の朝は旅行に同行してらっしゃる水泳選手の成田真由美さん達をお迎えに大船渡プラザホテルへ行くために志田を後にした。

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志田は海の先にありそこから海際の道を通って行った道すがら、ありありと いたるところに津波の痕がある。瓦礫は整備されていたが そこに家があり 畑があり 生活していた 気配が走る車の両側で広がっている。起伏のあるところは周りの被害に対して家や古い蔵などが残っている。延々と広い野原の様になってしまった元家屋や畑の跡地にまだ建ったばかりの家がポツリポツリと道沿いに散らばっている。

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ちょっとした高低差が明暗を分ける

 

 

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大船渡ホテルの横にしっかりした感じの元ショップで中が波にすっかり流された建物が何件かある。持ち主が取り壊しを望まなければ国が一緒に瓦礫を撤去する時にそのままになってしまうので後に費用は自分持ちになるらしい。

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それでも残しておきたい

 

もし自分なら

 

 

と思う

 

 

前回お伝えした鈴木建具店さんの苦労もそうだがもし自分なら一体どうしただろうか。

 

先祖の守ってきた土地に家を建て 色々なものを家族とともに育ててきた想い。そんな想いの詰まった建物なのではないだろうか。

そんな思いがあるのではないだろうか。

 

まだまだそんな家々のある大船渡

大船渡ホテルは2011年12月5日に復活した

私もその様子を遠く離れた大阪でテレビで見ていた。

流された全ての家々にホテルに海際の建物に思い出のある場所がリアス式海岸沿いに延々と続いている。

 

手放したくない家族

 

手放したくない家

 

手放したくない想い

 

 

それでも住んでいる人は優しく強く私にも話を聞かせてくれた。震災後家族の所に身を寄せていたけど仲が良すぎてよく喧嘩をした。でも今はご主人と2人で住んでるから気が楽になったわと。

 

 

 

米崎町

 

復活したマイヤアップルロード店は朝10時の開店とともに車でドンドン人が来る賑わいぶりだった。その横のさか道は方向が海の方に向かっていて流された土地だった。そこは平地に整備されていて沢山のパイプが等間隔に立てられていた。

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そこに穴を掘りりんごの苗木を植える。リンゴを掘る際の説明を聞いてみんな各自スコップを持って土を掘り始めた。

 

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(説明をして下さるリンゴ農家の方)

 

パンラボレンジャーヒーローズ

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東京で1流の仕事をなさってバーベキューの仕切りも1流で何度も支援に来られているパン屋さんケーキ屋さんがスコップで土を掘っているお姿を見てなんだか高田を救いに来たヒーローみたいだなと思った。私のような遠く離れた地の小さなパン屋から見ればあのパン屋さんこのパン屋さんとコーフン?するところだがその様な目でヒーローズを見てるのは私だけかもしれない。その人たちが目の前でシャベルで土を掘っていれば私もできないなりに手に力が入る。

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パン屋の皆さんやパンラボさんの仲間の結束は固い

もう何度も同じ思いをして同じものを見、優しさに溢れた背中で穴を掘る皆さん。

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私の掘った下手くそな穴を残らず追いかけて手直ししてくださった吉田 清人さん。

ありがとうございました。

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(どんどん出来上がっていく植樹作業)

 

りんご農家の皆さんによって運ばれてきた苗木を皆さんで植えて下さいました。お疲れ様です。

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(ヒーローズとリンゴ農家の方々)

 

旅も終盤に差し掛かってきました。そのあと待望の金野直売センターへ

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金野直売センターは被災され、お店を失った事を口惜しく語ってらっしゃったので、今春開業して食堂を再開された時は私も心から嬉しかったです。だからもう一度お会いできるのが楽しみでした。金野さんのお店は10年前に奥さまが亡くなり、味付けが変わってしまいましたがある時奥さまのレシピが出てきて、またお客さんが戻ってこられたそうです。その思いが強く営業再開にいたったのではないでしょうか?今は妹さんや清子さんも力を合わせてお店を守ってらっしゃいます。

食堂は大忙し

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(生きのいいホタテが磯ラーメンに使われる)

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(おもてなしの精神の清子さんは金野さんの妹さん)

 

人気の磯ラーメン

このラーメンを食べる為に長蛇の列が

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アツアツ野菜味噌ラーメン

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いつも頑張り屋さんの清子さんや可愛いアップルガールズにまた会える日を夢見て

私も大阪に戻って頑張ります。

 

繋がり

 

 

人数が多く初めてお会いした方も多かったのですが何人かの人とお話できました。

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SHIMIⅭOM DESIGNの小池田 芳晴さん

パンラボさんの活動を少しでも広める為にお写真の担当をされていました。

 

特定非営利活動法人ラブギャザリングの辻 めぐみさん、深尾さん、安藤さん

これからもよろしくお願い致します。

私は帰りの新幹線で辻さんとお話させて貰いましたが、言葉の端々に

高田のりんごの事を真剣に考えてらっしゃるのだな~とすごく伝わってきたんです。

辻さんの願い通り米崎リンゴが復興の足掛かりになったらいいですね。

 

和野果樹園の奥さん

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(右の方)

 

東北の人はみんなこうなんだろうか、色が透き通るように白く、旦那さんの為に

協力を惜しまず、地域の為に生きる。素晴らしい奥さまです。

本当にお世話になりました。ありがとうございます。送迎ありがとうございました助かりました。

 

パンラボの池田さん

池田さんの情熱が皆さんをまとめてひっぱっている

池田さんの新刊「パン欲」は12月10日ごろ発売予定です。

全国のパン屋さんを訪れたルポです。発売が楽しみです。

 

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(金野直売センターの美味しいイカを頬張る池田さん)

 

終わりに

今回陸前高田米崎町にお邪魔して沢山の事を勉強させて頂きました。金野さんとパン屋さんとパンラボさんとの絆がとても強く結びついていてすごく繋がりを大切にしてらっしゃるんだなあと思いました。こうやって陸前高田に赴けるのもグロワールのスタッフの人たちが快く出してくれたからです。

そして道中励ましたりリプライを下さったりしてくださったツイッターのフオロワーさん本当にありがとうございました。おかげで行き帰りも寂しくなかったです。直接言えなくて残念ですが感謝しています。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 


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