2014年11月30日(日)

希望のりんごについて

こんにちは

希望のりんご

グロワールのラインでよくこの言葉を聞かれたことが

あると思います。

今日は詳しくお話と説明をさせて下さい。

故郷復興りんご

 

希望のりんご代表で、パンラボの池田さんはパン研究家でライターさんです。

東京のパン屋を200件巡り、全国のパン屋にも精通している方です。

 

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まず初めに

2011.3.11に東北を津波が襲い、
沿岸部はことごとく被害にあいました。
東京で池田浩明さんはそれをテレビで見ていて、物資が何もないところが沢山あるのを知り、とりあえず知り合いのパン屋さんに頼んでパンをありったけのパンをかき集め、ボヌールの箕輪シェフと東北に向かい、避難所を紹介してもらっては周り、誰も援助がこない避難所にも行ってパンを渡したりして、各地を周り
最終的に陸前高田の米崎町にある堂の前避難所の方々と知り合いになり、そこで支援をする事になりました。
そこの避難所の代表者は、リンゴ農家の和野下果樹園の金野秀一さん、米崎女性会の菊池清子さんです、
そのお2人と話を通して米崎小の避難所に(のちに仮設住宅に)パンを届けたり、実際に東京の有名店のパン屋さんのシェフに現地に行って貰ってパンを作っては食べて頂いたりしていました。

パンラボブログ パンを届ける はこちら

*陸前高田の津波の被害状況について

  • 人口23,300人(H22国勢調査)
  • 浸水範囲内人口16,640人 *1
  • 死者1,555人 (H24年7月18日時点)*2
  • 行方不明者225人 (同上)*2
  • 家屋全壊+半壊3,341棟 (同上)*2
  • 犠牲者率(%)=死者行方不明者数/浸水範囲内人口×100=10.7


金野さんのおたくは坂の上にあり、陸前高田の海がよく見えます。
陸前高田の被害はそれはそれは広範囲で亡くなった方と行方不明の方で合わせて1700人以上もいらっしゃいました。

津波が押し寄せ、自分の育った町、知り合いや親戚、友達がなくなり、もう2度と立ち直れないと思ったそうです。

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池田さんは陸前高田を何度か訪れた時、
悲惨な現場でリンゴ農家の可愛らしいリンゴの花が生き生きと咲き、実っていくのを見て町を救うのはこれだと思ったそうです。そして希望のりんごと名前をつけました。
実際陸前高田は元々温暖で過ごしやすくリンゴの育成に向いていて、
内地よりも美味しいリンゴができるのでリンゴ農家が沢山あり、アップルロード(岩手県陸前高田市にある、岩手県道38号大船渡広田陸前高田線主要地方道)の同市米田町から広田町まで4.2kmのバイパス区間の愛称。)というおしゃれな名前の道もあるぐらいなのです。

 

 

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池田さんはパン屋さんたちと何度か訪れていくうちに、他の支援団体と知り合いになったり仲間が増えて、他にもリンゴを支援する人がいて、何人かで希望のりんごというグループを作りました。

池田さんが書いた希望のりんごからのメッセージは

「十年後、りんごの木の下で会いましょう。

陸前高田の人たちとの、心のつながりを確かなものにするため、私たちは十年スパンで、復興を見守っていこうとしています。
この春、植樹するりんごの木が成木となる七年後は、震災十周年。
その節目に向け、りんごの実があふれるばかりになる陸前高田市米崎町を作りたいと思っています。」

 

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りんごの日
というのがあるのですが、これは池田さんの知り合いのパン屋さんが参加して米崎りんごを使い、りんごのパンを焼いてその日に販売するというものです。

2016年1月(17.18日予定)りんごの日が行われる予定です。

 

希望のりんごを使ったりんごの果汁だけのジュースと米崎りんごのジャムも販売されます。

米崎りんごの注文は希望のりんごの通信販売、

おでんせ商店街にてフォームから注文する事になります。

まだ作成中なので程なくしてアップされると思います。

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上の写真はりんごジュース点「ともる」です。

 

興味のある方は1月初め頃パンラボブログや希望のりんごのページをチェックしてみて下さい。

 

 

 

 


2014年10月12日(日)

La pomme de l’espoir 希望のりんご

秋も深まって来ましたね

陸前高田からリンゴの出荷が始まりました。

グロワールも陸前高田の和の下果樹園から

リンゴをお取り寄せしています。

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陸前高田のリンゴ農家さんを支援している
希望のりんごプロジェクト

陸前高田市米崎町の経済復興、雇用や生きがいの創出、
域外の人びととの交流のために『希望のりんご』プロジェクトを立ち上げた人たち

その想いを汲んで
リンゴのデニッシュの名前を La pomme de l’espoir ラ ポム デ レスポワール 希望のりんごにしました。

希望のりんごのHPはこちらです。
http://www.kibounoringo.com/

もう何度も支援に出かけておられるメンバーと一緒に
私も何度か行ったことがありますが
行くたびに現地の人達の心の暖かさに触れ、
スタッフの情熱に心打たれます。

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La pomme de l’espoir

デニッシュにクリームチーズとリンゴがのっています

噛むとりんごの甘さと酸味が広がります。
定番の形ですが、りんごの美味しさはわかって頂けると思います。

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リンゴの天然酵母パン

届いたりんごを窯でドライアップルにして
カルバドスをからめたりんごとクルミを使っています。

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10月後半には陸前高田でりんごのジャム作りに参加します。
またご報告させて頂きます。

 

パンラボさんのブログ 希望のりんご 真夏の陸前高田ツアーはこちら

http://panlabo.jugem.jp/?cid=33

 

 


2014年03月08日(土)

3月のお知らせ

 

 

こんにちは3月のお知らせです。

11日は谷町線千林大宮駅2番出口上がって

キャップ書店のすぐ左の階段で3.11のキャンドルナイトがあります。

時間は18時~20時までキャンドルは1個100円で

売上金は東日本大震災義援金として日本赤十字に送金

されます。グロワールのレジ横にも11日まで募金箱を

お預かりしています。

12日は千林マルシェ様にてパンの出張販売をしています。

15日から18日までの4日間梅田阪急百貨店

地下1階のベーカリーイベント2にてパンの販売を致します。

皆様のお越しをお待ちしております。

 

勝手ながら15日(土)はお休みさせて頂きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2013年11月30日(土)

パンラボツアーの事  第2回陸前高田「以心伝心」バスツアーに参加しました。

 

りんごを愛する人々

 

 

なぜリンゴ農家のおじさんはこんなにパン屋さんを大切にしているのか

なぜパン屋さん達はこんなにリンゴを大切にしているのか

 

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それがすごく知りたかった

 

そして陸前高田で みて きいて 感じたこと

 

東北大震災から2年と11か月経ちました

前回陸前高田にお邪魔してから2度目の訪問になります

前回の様子はこちら

11月15日私は岩手県気仙沼からBRT]に乗り陸前高田に到着してすぐコミセンに行きました

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そこでは「中小ベーカリー」の加藤先生が地元のアップルロード付近に女性会の方々アップルガールズと手作りパン教室の下準備中でした。前日に生地作りをして翌日女性会の人たちとフライパンでパンを焼くのです。おいしいさつまいもとりんごがあったので急遽パンに使うことにしたそうです。

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加藤先生

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アップルガールズ

 

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次の日のバーベキューで出す

さんまのつみれ汁の用意をしてくださっていました

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金野直売センターの菊池清子さん

 

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用意して頂いてありがとうございます。

 

 

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その日の晩は、リンゴ農家の金野さん(和野果樹園)ご夫婦と加藤先生と元米崎町女性会会長の菊池清子さんと同席させて頂きお話を聞くことができました。

 

 

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(陸前高田 りんご農家の金野さんご夫婦)

 

1回陸前高田を訪れたとき金野さんの奥さんが「せっかく陸前高田にきたから泊まっていけば良かったね」と言って下さったのです。その後もよくしてくださり、なぜこんなに親切にしてくれるのかと思っていました。

その理由をお話を聞いて知ることができました。

 

お話は池田さんを誉める会に

 

パンラボの池田さんが東北支援の為に初めて陸前高田を訪れた時、知り合いもいず不思議な帽子を被って金野さんを訪れ仰ったそうです 「パンを配りたい」 と。

金野さんは、当時色んな支援がある中、後で請求書が回ってくることもあるから気を付けてらっしゃったので、その時女性会の会長をしていた菊池さんにも対応してもらったのですが

「怪しまれて当然です」と池田さんはおっしゃったそうです。

勿論池田さんは怪しい人ではなく、(パンラボ第1回参照)菊池さんがお礼状を出されたのが縁で交流が深まり繋がりは回を増すごとに徐々に大きくなり、パンラボ池田さんとパン屋さんの被災地訪問は9回目になりました。加藤先生は池田さんの事を「あの人は人間ができている」と仰っていました。チャレンジドカップ、ZZCベーカリーなどで資金を捻出して支援にあてておられるのです。実際何度も訪問されているので頭が下がるとも。

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金野さんの高田への熱い思い

 

金野さんの果樹園は高台にあり、とても見晴らしがよく高田の町を一望でき。小高い丘からは高田の海が見渡せます。震災があった時津波で流された松の木を見て「高田の町は終わりだ」と思ったそうです。でもパンラボさんは何度も何度もやってくる、また次の年もまた次の年も。「パン屋さんから元気を貰った」金野さんは何度も仰いました。ご自身は被災せずとも長く親しんできた高田の町の親族や知り合いのご家族が被災されたり懇意にしてきた方が沢山犠牲になっている。涙もろくなってテレビで事件をみてもすぐ津波で犠牲になった方やそのご家族を重ね合わせてたまらないお気持ちになるという。徐々に支援の手も減る中「2年経ってもやってくるパン屋さんに言葉では言い表せないけど心に元気を貰った。パン屋さんから貰ったパワーを仮設のみんなに分けてやりてえ」

 

金野さんの目に涙が光った

 

 

菊池清子さんというパワフルな人

米崎町の女性会のしっかりしたまとめ役菊池さんはいつも一生懸命でとても素敵な人です。私もこの方には何度もお手紙を頂いたりメールをやり取りして変な意味ではなく本当に大好きな人だ。金野さんの奥さんも菊池さんのお仕事の素早さや行動力にいつも感心してらっしゃるそうです。

 

中小ベーカリー経営アドバイザーの加藤 晃先生

 

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「自分のパンは自慢しない、作ったものの評価は食べる人がするもの、

それを見て初めておいしいといってもいいんだ。」

 

 

16日の朝早く

大きな車に乗りあって東京からパン屋さんのご一行が陸前高田に到着しました。その姿はなんだか高田の町を救いに来たヒーローみたいでした。朗らかですごく元気でパワーに溢れ周りの空気ががらりと変わる程でした。

 

 

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(語り部の新沼さんとパンラボツアー)

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(石川啄木の石碑)

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(追悼施設)

 

その日は朝一番に高田を訪れたみんなで語り部さんのお話を聞くことになっていました。初めに行ったところは高田松原の道の駅でした。そこでパンラボ池田さんとこんがりパンダパンクラブの人、NPO法人ラブギャザリングのメンバーと合流しました。高田の松原とは震災前陸前高田を代表する風光明媚な場所で、海岸には県最大の海水浴場があり毎年3万人以上の人が訪れていた朝日の美しい場所、7万本もの松が海際に延々と続く景勝の一つでした。高田の松原道の駅は観光物産センターやイベント広場、野外ステージがあり広さからも賑わっていたことを偲ばせます。今は広場には追悼施設が建てられ私たちもここで亡くなったかたのご冥福をお祈りしました。、

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(中は被害にあった」ときのままだ、この建物は保存されるらしい)

 

 

奇跡の一本松

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(高田の風景)

海岸から小高い所までのいたるところに重機があり、前回来た時は瓦礫の撤去で忙しいようでしたが、今はその瓦礫を篩いにかけて細かい砂にし、それを高く積み上げる作業をしていました。

 

 

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(いたるところで重機で砂を篩い分けている)

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(高く積み上げられた盛り土)

 

7万本の松が流されましたが1本だけ残った松。気仙沼からBRTに乗ってくるとこのすぐ近くの「奇跡の一本松」停車場で停まってくれるので見に行くことは可能です。ただし次の移動手段は地元の交通機関でご確認下さい。

奇跡の一本松の背後には被災した陸前高田ユースホステルが残る。

 

 

人には2種類あると思います。

 

思い出を残しておきたい

過去の事を思い出したくない

 

後者は勿論つらい思い出を伴っているのです。死者1600人行方不明215人 住んでいた家を高台から流されるのを、松の木が流されるのを高く上がった水煙とともに見ていた方のお気持ちは計り知れません。

 

現地の方とお話していると津波で被災された事をみな一様に「流された」と表現されます

この言葉の裏には、津波を思い出したくなけれど使わなければいけない言葉としての「流された」があるとして受け止められます。

 

駅前

 

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かって駅前には相当な賑わいがあり夏は海に冬は三陸のごちそうを食べにたくさんの観光客が利用していたのでしょう、主要な機能がこの周辺に集結していたことが語り部さんの言葉で説明されます。駅前にお住いの方の多くはまさかここまで流されるとは思わず避難しない方も多かったそうです。しかし津波は予想に反し3階の高さまで来てしまい高田の町をおそったのです。

 

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(ここはかって高田の中心街だった)

 

 

 

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(時刻表を沢山の観光客が見ていたに違いない)

 

私たちは語り部の新沼さんの話を染み入るように聞いているしかありませんでした。

 

 

いよいよバーベキュー

 

その後私たちは3手にわかれました

加藤先生は朝からコミセンで米崎女性会の方々とパン教室で、フライパンで焼くパンを作っておられました。

 

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(パン作りに勤しむアップルガールズ)

 

和野会館

 

ラ・テール中村先生とラブギャザリングの何名かの方と私は和野会館の担当でした。米崎小でのバーベキューは池田さんがブログに書いておられます。

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パンケーキの材料は大阪から送り、地元のものはマイヤさんで買い求めバーベキューのお膳立ては

池田さんや菊池さん地元の方が器具や具材を用意してくださいました。

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(お手伝いをして下さったラブギャザリングの辻さん)

 

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(蒸したばかりの岩牡蠣)

和野会館は高台の上の方に建っていました。会館の前にちょっとした広場があり、眺めは最高でした。現地の人と一緒に米粉のパンケーキ作りをして、ヨーグルトも入っていて焼いたら優しい味になったと思います。

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パワーのある人はどこにいても人を惹きつける。すべての工程が中村先生の仕切りで順調に運んで行く。

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(ラ・テールの中村 逸平さん)

 

外にホットプレートを置いてもらって焼いていると、隣に座っていたアップルガールズがいたので電話で仲間を呼んで貰い、ドンドン集まってくれたのです。勿論前もって配って頂いた辻めぐみさん(ラブギャザリング)の作って下さったチラシが皆さんに行き渡っていたからこそです。

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中村先生の素晴らしいバーベキューさばきにより何ともすごいごちそうが並んだ。ホタテ、牡蠣、しか肉、ホルモン、和牛、現地の新鮮野菜!!中村先生はパンケーキ焼いてる私にまでおすそ分けをわざわざ持ってきて下さり「焼いてる方の立場がわかるから」と言ってくださいました。ありがとうございます。

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(金野直売センターのホタテにお醤油をひとたらし。ふっくらやわらかい)

パンケーキはなるべく現地のものを意識して日粉さんのあきたこまちの米粉、岩手県の卵、大船渡牛乳を使い、そえたイチゴも岩手県のものだ。そして金野さんの和野果樹園のりんごのコンフイチュールのトッピングも。やはり美味しい果物を使うといいですね。

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そこへ加藤パン教室のパン登場!菊池さんお配りありがとうございます。

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(フライパンで焼く、さつまいもとゴマのパン)

 

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(いつもイキイキ菊池さん)

手伝って下さった現地のご婦人。手作りのちゃんちゃんこお似合いでした。

色合いもばっちり!

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楽しい時間もあっという間に過ぎて心残りだけど、、、

 

金野果樹園のりんご

 

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りんごの実は少し持ち上げてひねって取らないとりんごについてる「え」が取れてしまう。

 

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(王林)

そして木の上の方になっている太陽があたって赤くなってる王林を小学生みたいに探した。

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広い広いりんご畑のリンゴの木を見せてもらいこんな風にシール貼るんだーと思いました。

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(朝日も夕日も拝める高台)

 

民宿志田

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弘田町字根岬にある民宿志田

(フェイスブックでいいね!をお願いします。)

そこは周りがリアスの海で囲まれ魚や貝が豊富な所です。すごく優しそうな奥さんと娘さん、仕事が生きがいそうな大将、可愛い元気なお孫さんがいて、宿泊費6000円では申し訳ないごちそうがでました。

 

大船渡

 

次の朝は旅行に同行してらっしゃる水泳選手の成田真由美さん達をお迎えに大船渡プラザホテルへ行くために志田を後にした。

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志田は海の先にありそこから海際の道を通って行った道すがら、ありありと いたるところに津波の痕がある。瓦礫は整備されていたが そこに家があり 畑があり 生活していた 気配が走る車の両側で広がっている。起伏のあるところは周りの被害に対して家や古い蔵などが残っている。延々と広い野原の様になってしまった元家屋や畑の跡地にまだ建ったばかりの家がポツリポツリと道沿いに散らばっている。

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ちょっとした高低差が明暗を分ける

 

 

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大船渡ホテルの横にしっかりした感じの元ショップで中が波にすっかり流された建物が何件かある。持ち主が取り壊しを望まなければ国が一緒に瓦礫を撤去する時にそのままになってしまうので後に費用は自分持ちになるらしい。

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それでも残しておきたい

 

もし自分なら

 

 

と思う

 

 

前回お伝えした鈴木建具店さんの苦労もそうだがもし自分なら一体どうしただろうか。

 

先祖の守ってきた土地に家を建て 色々なものを家族とともに育ててきた想い。そんな想いの詰まった建物なのではないだろうか。

そんな思いがあるのではないだろうか。

 

まだまだそんな家々のある大船渡

大船渡ホテルは2011年12月5日に復活した

私もその様子を遠く離れた大阪でテレビで見ていた。

流された全ての家々にホテルに海際の建物に思い出のある場所がリアス式海岸沿いに延々と続いている。

 

手放したくない家族

 

手放したくない家

 

手放したくない想い

 

 

それでも住んでいる人は優しく強く私にも話を聞かせてくれた。震災後家族の所に身を寄せていたけど仲が良すぎてよく喧嘩をした。でも今はご主人と2人で住んでるから気が楽になったわと。

 

 

 

米崎町

 

復活したマイヤアップルロード店は朝10時の開店とともに車でドンドン人が来る賑わいぶりだった。その横のさか道は方向が海の方に向かっていて流された土地だった。そこは平地に整備されていて沢山のパイプが等間隔に立てられていた。

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そこに穴を掘りりんごの苗木を植える。リンゴを掘る際の説明を聞いてみんな各自スコップを持って土を掘り始めた。

 

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(説明をして下さるリンゴ農家の方)

 

パンラボレンジャーヒーローズ

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東京で1流の仕事をなさってバーベキューの仕切りも1流で何度も支援に来られているパン屋さんケーキ屋さんがスコップで土を掘っているお姿を見てなんだか高田を救いに来たヒーローみたいだなと思った。私のような遠く離れた地の小さなパン屋から見ればあのパン屋さんこのパン屋さんとコーフン?するところだがその様な目でヒーローズを見てるのは私だけかもしれない。その人たちが目の前でシャベルで土を掘っていれば私もできないなりに手に力が入る。

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パン屋の皆さんやパンラボさんの仲間の結束は固い

もう何度も同じ思いをして同じものを見、優しさに溢れた背中で穴を掘る皆さん。

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私の掘った下手くそな穴を残らず追いかけて手直ししてくださった吉田 清人さん。

ありがとうございました。

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(どんどん出来上がっていく植樹作業)

 

りんご農家の皆さんによって運ばれてきた苗木を皆さんで植えて下さいました。お疲れ様です。

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(ヒーローズとリンゴ農家の方々)

 

旅も終盤に差し掛かってきました。そのあと待望の金野直売センターへ

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金野直売センターは被災され、お店を失った事を口惜しく語ってらっしゃったので、今春開業して食堂を再開された時は私も心から嬉しかったです。だからもう一度お会いできるのが楽しみでした。金野さんのお店は10年前に奥さまが亡くなり、味付けが変わってしまいましたがある時奥さまのレシピが出てきて、またお客さんが戻ってこられたそうです。その思いが強く営業再開にいたったのではないでしょうか?今は妹さんや清子さんも力を合わせてお店を守ってらっしゃいます。

食堂は大忙し

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(生きのいいホタテが磯ラーメンに使われる)

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(おもてなしの精神の清子さんは金野さんの妹さん)

 

人気の磯ラーメン

このラーメンを食べる為に長蛇の列が

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アツアツ野菜味噌ラーメン

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いつも頑張り屋さんの清子さんや可愛いアップルガールズにまた会える日を夢見て

私も大阪に戻って頑張ります。

 

繋がり

 

 

人数が多く初めてお会いした方も多かったのですが何人かの人とお話できました。

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SHIMIⅭOM DESIGNの小池田 芳晴さん

パンラボさんの活動を少しでも広める為にお写真の担当をされていました。

 

特定非営利活動法人ラブギャザリングの辻 めぐみさん、深尾さん、安藤さん

これからもよろしくお願い致します。

私は帰りの新幹線で辻さんとお話させて貰いましたが、言葉の端々に

高田のりんごの事を真剣に考えてらっしゃるのだな~とすごく伝わってきたんです。

辻さんの願い通り米崎リンゴが復興の足掛かりになったらいいですね。

 

和野果樹園の奥さん

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(右の方)

 

東北の人はみんなこうなんだろうか、色が透き通るように白く、旦那さんの為に

協力を惜しまず、地域の為に生きる。素晴らしい奥さまです。

本当にお世話になりました。ありがとうございます。送迎ありがとうございました助かりました。

 

パンラボの池田さん

池田さんの情熱が皆さんをまとめてひっぱっている

池田さんの新刊「パン欲」は12月10日ごろ発売予定です。

全国のパン屋さんを訪れたルポです。発売が楽しみです。

 

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(金野直売センターの美味しいイカを頬張る池田さん)

 

終わりに

今回陸前高田米崎町にお邪魔して沢山の事を勉強させて頂きました。金野さんとパン屋さんとパンラボさんとの絆がとても強く結びついていてすごく繋がりを大切にしてらっしゃるんだなあと思いました。こうやって陸前高田に赴けるのもグロワールのスタッフの人たちが快く出してくれたからです。

そして道中励ましたりリプライを下さったりしてくださったツイッターのフオロワーさん本当にありがとうございました。おかげで行き帰りも寂しくなかったです。直接言えなくて残念ですが感謝しています。

 

最後まで読んで下さってありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 


2013年06月29日(土)

ハートブレッドプロジェクト

東北地方太平洋沖地震

2011年(平成23年) 3月11日、太平洋三陸沖震源の地震が起こってから、約2年と5ヶ月が過ぎました。

色んな人のご苦労

色んな人の悲しみ

怒り

落胆

希望

再生

2年と5ヶ月経ちました。

一人ひとりは無力でも

小さな力で支えたい

沢山の小さな力で

ハートブレッドプロジェクトというパン屋さんの活動をご存知でしょうか?

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参加してらっしゃるパン屋さんがそのお店独自でハートのパンを焼き、その売り上げの全額や一部を(お店によって方針は様々です)寄付するという活動だそうです。

グロワールもこの間、この活動に参加させて貰いました。
ご理解頂いたお客様に少しずつお気持ちを分けて頂いて、それを届けるのです。

ご自分もと思われるパン屋さんはプロジェクトに参加できます。

6月はまだ4回でしたが、7月から細く長く続けるつもりです。


2013年06月12日(水)

陸前高田の金野直売センター

こんにちは。

陸前高田で以前からお世話になっている、米崎町女性会長の菊池さんのお兄様がお店を開店されました。

金野直売センターです。

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立派なおみせですね~。

津波で被災されたのですが、4月の24日に開店です。
場所は陸前高田の脇ノ沢というバス停のすぐ前だそうです!

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正面から見たところです。
よく見ると和野果樹園の金野さんが映ってらっしゃいます(写真を送って頂いてありがとうございました)。
うちの出させてもらったお花も写ってますね(エヘ)

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食堂と海産物の直売をされるのです。

磯ラーメンがお勧めだそうですよ

人気の「磯ラーメン」復活 被災乗り越え「おっかあの味」

こちらのサイトに菊池さんのお兄さんの金野さんのお写真が載ってます。

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開店したのはりんごと桜の花が綺麗な季節でした。

これから暑くなるのでお体に気をつけて。


2013年04月21日(日)

陸前高田の金野直売センター開店です

こんにちは。

陸前高田で以前からお世話になっている、米崎町女性会長の菊池さんのお兄様のお店がこの度開店されます。

津波で被災されたのですが、4月の24日に開店です。

場所は陸前高田の脇ノ沢というバス停のすぐ前だそうです!

食堂と海産物の直売をされるのです。

磯ラーメンがお勧めだそうですよ


2012年11月15日(木)

11月17日、18日はりんごの日です

こんにちは。

11月17日、18日はりんごまつりです。
陸前高田のりんごを使って新作パンが並びます。
りんごは津波にのまれなかった和野果樹園の希望のりんごです。

上の写真は優しく明るい和野果樹園の金野さんです。

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りんごまつりのパンをご紹介します。

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陸前高田の和野果樹園さんの作った無農薬の完熟りんごと、陸前高田の八木澤商店さんの味噌を使用しています。

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りんご、アーモンド、レーズンの生地とアーモンドクリームに、隠し味として八木澤商店の味噌をブレンドした生地の2つをねじり、しっかりと気持ちを繋ぎ復興への気持ちを表現しました。

その他、天然酵母パン、りんごベーグル、りんごのデニッシュなどがございます。

是非お越し下さい。


2012年11月11日(日)

陸前高田のこと。りんごまつりの前にpart2

part2です。(part1はこちら)

マイヤアップルロード(まいやさんという方がやっておられる方の店舗)の横を通りかかりました。
その店は総合店舗で震災前陸前高田の便利な店だったのでしょう、前日にもマイヤの話が何度も上がっていました。
全てを失ったのに新しくお店を構える。
それはなみなみならぬバイタリティーと努力、人脈が必要でしょう。
それが早いうちに新規開店して、町の高台に移った方々の生活の明かりになることはまず間違いないでしょう。
皆から必要とされてそれを糧に、新店舗を作る努力をなさったに違いないと思われます。

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その先には見渡す限りの野原の様な家の跡地に点々と仮設の店舗が建っていました。
その中に栃ヶ沢ベースという仮設商店街があって、そこにはお菓子の木村屋さん、お酒雑貨のいわ井、そば屋のやぶ屋さんがありました。
そこは朝、むさしで貰った岩手大学の学生さんが作ったという、高田のいいとこマップという小冊子で見たばかりの店でした。
店の中の写真はとても仮設とは思えない温かみのある内装でご主人の人柄がうかがえます。

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陸前高田の主要施設は全て仮設でした。
銀行、市役所、農協などが固まって建っていてそこには店舗もありました。

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(上の写真は駅のあった場所です。レールははがれてありませんでした。ここは駅だったと思うには余りにも変わり果ててしまったのではないでしょうか。今はこの線は気仙沼までで、その先は復旧の見通しはありません。)

その後、菊池さんのお友達のお宅があった所の前を通りました。
一緒に逃げようといったのに大丈夫だからと逃げられなかったそうですが、そのお話をされた時の会長さんは本当に残念そうでした。
亡くなった方のご冥福を心からお祈り申し上げます。

その後会長さんの流されたご実家やお兄様のお店があった所の前を通って頂き、私達は少し高い道を登って行くと、ぽつりぽつりと空いている土地に何軒かずつ固まって仮設住宅がありました。

下(海際)には危険もありますし、心情的にも住めませんので、どうしてもそのような形になるんでしょうか。

そのうちにもっと小高い見晴らしの良い所に登り、りんごの木が何本かあるお宅が見えて来ました。

その先に今年の1月にりんごの日に使わせて貰ったりんご農家の和野果樹園がありました。

そこのりんごは美味しいのでリピーターも多く予約がいっぱいで、そんなに余りも無いのですが、分けて貰って10軒ほどのパン屋さんでりんごの日が開催されたのでした。

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今年の11月17日、18日にもりんごまつりがあり、その時も和野果樹園さんのりんごを使わせて頂きます。
そのりんごまつりの日には東京の有名なパン屋さんが、陸前高田のりんごを使って腕を奮う夢のような2日間なのです。

私達は10月の初めだからまだ青いりんごを見た後、米崎町の米崎小学校に向かいました。
そこは被災していなくて、600件の仮設が校庭に建っていて、その日はそこでパンDEバーベキューというイベントがありました。

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東京のパン屋さんやケーキ屋さん達が集まって、米崎町の仮設の方々と一緒に和野果樹園さんのお宅のりんごを使ったカップケーキの講習会や、お汁粉や大福、そしてバーべキューのコンロで焼く具がたっぷりのクロックムッシュ、長い棒に生地を巻き、バーベキューコンロでくるくる回して焼く楽しい巻きパン、美味しいピザ等。
どれも地元高田の人達が参加できる楽しい企画で、自分も参加できて本当に良かったと思いました。135268821254513208536_CIMG0344

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ずっとみんなの為にお餅を搗き続けてくれたお2人

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巻きパンを回して焼く皆さん

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そのあと私は、もう一度建具屋さんの奥さんに会うことができて話をしたのですが、前の日に聞いた奥さんの話が胸に詰まったままで、駐車場までお送りしてお話したのですが、奥さんがお嫁に来てすぐりんごの行商をした話や、お孫さんの為に茶箪笥を3年間かけて仕事の合間をぬって作ったのに、まだ使わないうちに流されてしまったお話、工場や家を働いて少しずつ大きくして整えていき、自分の好きな車を選ばせて貰って乗ったり、運動も始めてまだ3回目だったのに、それらの日常を取り巻く全てが波にさらわれたことを聞き
私もなんと言っていいか言葉もなく奥さんの手を握ることしかできなかった。

その日は天候にも恵まれ過ごしやすい1日で、みな台を囲んでマフィンを作ったり、バーベキューのコンロでパンを焼いたり、和やかな午後でした。

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最後に残ったチーズを全部のせていた女の子

皆温かく優しい人ばかりで、昔からの馴染みなのか子供の頃のまま「~ちゃん」と呼び合っていて、同じ同郷同じ苦労を経ての強い繋がりが感じられた。

最後に、専門学校ビジョナリーアーツの生徒さんが作られた食パンを、仮設の皆さんに配り歩いた。
一緒に配って下さった方の部屋を見せて頂いたが、仮設は1人なら台所と水周りと寝る部屋が、後は人数が増えるにつれ2人に1部屋ぐらいのスペースだ。
もうすぐ冬がやってくる、仮設は寒いのではないだろうか。

今この地域では高台移転化計画というのをまとまって市に申請しているけど、この冬には間に合わないみたいだ。
1日も早く高台に家が建ちショッピングモールが出来て、町の人が快適に暮らせますように。
お昼過ぎ、とうとう時間になり私は名残惜しく、親切にして頂いた米崎町の皆さんに挨拶をして、また菊池さんにお世話になり気仙沼までの道も車の中で色々と被害状況を教えて頂いた。

陸前高田には海際に大きなホテルがあり、観光シーズンには沢山のお客さんを泊めたであろうその姿も、波が中のものをことごとくさらって行ったのか中はがらんどうだ。

道々、大阪府警のお巡りさんが早いうちから来て交通整理などをしてくれて、最後までいてくれたという話も聞いた。

大島のあるおかげでか気仙沼は少しだけ被害がましな所があり、その町の様子を見てきっと陸前高田も元はこんな町並みなんだなあと思いを巡らせた。

厚かましく手ぶらで行ったのに温かく迎え入れて貰い、色んな方のお話も聞け、今の陸前高田を案内までして頂いて感謝に絶えません。
お世話になった方々、むさしの方、池田さん、ありがとうございました。
りんごまつり楽しみにしています。

手ぶらで行ったので帰ってから、店からとしてラスクとマフインを米崎町の仮設に送りました。
お一人分にすると少しずつしかありません、そのことでいつも葛藤があります。

パンが米崎町に届いた夜、米崎町の仮設の自治会長の佐藤さんからお電話を頂きました。
11月6日は愛知県に、震災をどう乗り切ったのか、何が必要だったのか、をお話されに行ってたそうです。
佐藤さんは子供達にメッセージを下さいました。

津波でんでんこという言葉があります。
津波が来たらてんでんバラバラに一目散に逃げるという意味だそうです。

地震や津波が来た時に親や先生がいるとは限らないので、お家で「地震が会った時、まず自分で逃げる方法を考えておく」というのを家族で話し合っておく。「周りの大人に助けを求め、一緒に逃げる」
何故かと言うと、子供を迎えに行って逃げる途中に津波にのまれたり、迎えに行ってる間に被害に合われた方が多かったらしいのです。

津波でんでんこの言葉どうりに、誰かを助ける事よりもまず自分の為に逃げる。
子供は周りの大人に助けを求める。学校と地域が話し合い、いざとなったら高いマンションのオートロックを開けて貰うように決めておく。
というお話でした。
避難所で1番困ったのは歯医者さんがいなかったことだそうで、ストレスで歯が痛くなっても、初めは薬でごまかせても1週間2週間も耐えられないという事です。

長い間読んで頂きありがとうございました。
1日も早く高田の仮設の皆様が高台に移転し、安全な生活が出来、ますます生活が充実しますよう心からお祈りしています。

最後にパンラボの池田さん、仮設の皆様、女性会長さん、米崎の方々本当にありがとうございました。

りんごまつりによって高田の事が、絆のことが、皆さんに通じますように


2012年11月11日(日)

陸前高田のこと。りんごまつりの前にpart1

東日本大震災から1年と8ヶ月経ちました。

テレビで見た津波の映像の驚きは今も忘れません。

地震当時私はよくテレビやツイッターをチェックしていました。
そんな時パンラボの池田浩明さんというライターの人が、パンを通じて被災地に支援しているのを知り、
何か協力できるかDMを送ったのです。

うちのお店は大阪にありしかも小さな店ですので、池田さんは考えて60人の方が避難している陸前高田の米崎町にある自然休養村を紹介して頂きました。
1番初めにミニパンセットを60人分送らせてもらったのですが、その日は自然休養村の避難してらっしゃる方が仮設に移るので、ここでのみんなで過ごす夜は今日が最後だねという夜にパンが丁度のタイミングで届き、会にちょっとした花を添えることが出来たのでした。

そのすぐ後、避難所の方からお手紙を頂き、その手紙には震災時の必死の思いで逃げた様子、その後親戚に身を寄せた遠慮の気持ち、これからへの不安が切々と書いてありました。
もう1通は、休養村の避難所の代表の菊池さんという女性からのお手紙で、現状について色々と教えて下さいました。それから何回かパンや手紙のやり取りがあり、東海新報という新聞にグロワールの事を紹介して下さったこともありました。

私は菊池さんという女性の温厚なお人柄に親愛の情を抱いていて、遠いからとか仕事があるとかで1度も行かないのは不義理だと思い、よく地図を調べたり時刻表を調べたりしていました。

そのうち池田さんからお電話があり、「東北のパンのイベントがあります」というお話だったので、店長の許可を取って東北行きの新幹線に乗ったのです。

大阪から東京へ3時間、東京から一関まで2時間半、そこから気仙沼まで1時間半かかりました。
駅では菊池さんのお兄様と旦那様が迎えに来てくださいました。
気仙沼から米崎までの道のりで初めて見たのは津波に打ち上げられた船でした。

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その時はまだ気が付きませんでしたが、草原だと思っていたところは、全て津波の被害に合われた家々の瓦礫が全て撤去された後だったのです。

私は陸前高田に4件しかないという民宿のひとつ、むさしに案内して頂きました。
何故4件しかないというと、海際のホテルなどの宿泊施設は流されてしまったからで、 むさしも8月まで避難所に使われていたそうです。

むさしは外観は普通の民家ですが、玄関や居間の囲炉裏や調度は小奇麗で品がよく、どれも埃などかかっていなく部屋も掃除が行き届いていて、お風呂も綺麗なお湯がたっぷりと張ってありました。
民宿の人も凄くいい人そうなお父さんとお母さんと娘さんという感じでした。

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6時にお迎えに来て頂き、米崎町の菊池さんのお宅に向かいました。
道々菊池さんのお兄様のお宅や工場が津波にのまれたお話、逃げる時のお話、元はここにどんなお店や家があった、誰が住んでいたというお話を聞きました。

もうあたりは真っ暗で遠くは見えなかったのですが、そこには確かに元家の土台があちこちにあり、それが車のライトにうつし出される風景が延々と続いていました。

車を降りた時、降るような星空でした。大阪では絶対見えない満天の星空が広がっていました。

「ネオンが無くなったからね」

というお兄様の言葉で初めてそうなんだと気づきました。
そこでは早くお会いしたかった菊池さんが待っていてくださいました。
手を握り合い言葉を交わせてとても嬉しかった。
菊池さんのお宅ではたいそう歓迎して頂き20人程の大人の方が集まって下さっていました。
可愛らしいお孫さんもいて、わきあいあいとした雰囲気でした。

1月にお世話になったりんご農家の和野果樹園のご夫婦と初めてお話させて頂きました。
その後は女性会の方とお話できたのですが、その中に以前お手紙を下さった方がいらっしゃってお話をさせて貰えました。
高齢のお母様の手を引っ張って命からがら高台へ逃げ助かったが、お家は流されてしまい、お母様も親戚のお家で遠慮をしながら過ごしていたので、早く仮設に入りたいと願っていたけど、先日お宅を新築なさって
親孝行が出来たとおっしゃっていました。

仮設に入られてからは皆中々集まれなかったけど、久しぶりにみんなで集まって話が弾んでおられましたが、やはり瓦礫の中から写真が返ってきたけど見覚えの無いものもあるというお話や、服屋さんが無くてあっても種類が選べないお話、何々は津波に持っていかれたというお話など津波のお話が多く、日常なんだなぁと思いました。

女性同士で集まりお話をしていたのですが、その中に鈴木建具店の奥さんがいらっしゃいました。
奥さんもお店も工場も全てを津波で無くした方のお1人で、3.11の地震の後、家から出てみると向こうの方に津波が見えたので、車に乗って急いで逃げてると3人の走って逃げる人がいたので車の横の扉を自動で開けて乗って貰い、急いで逃げて助かったそうです。
その後は宮城にある工場の一角を間借りしてお仕事をされ、冬はストーブ1台で本当に寒い中震えながら仕事されたのですが、機械が流されたので中古の機械を手に入れたのですが、今までの仕事の5分の1の能力しかなく、それでも1日も休まず仕事されたかいあって家と工場を新築されて今はお孫さんと暮らしてるそうです。

地震当時、陸前高田の総人口は約24000人、現在の生存確認数が約22000人。
今ここに集まっているのは当然助かった方だけが集まっているわけですし、運よくすぐ逃げれる条件の場所に居た方、渋滞に巻き込まれず車で逃げれた、そばに高台があって必死で登ったら助かった方がほとんどです。
しかし仮設に入っている訳ですから家も工場も車も店も流されてしまい、何もかも無くなった、それなのに私に微笑みかけて優しい言葉をかけて下さる。
徐々に言葉少なになった私を見てか、菊池さんが民宿まで送って下さいました。
むさしに帰ってからも、建具屋さんのお話がずっと耳に残っていました。

次の日は朝食の時土建屋の人達が沢山朝早く発って行ったのですが、その人達は解体作業の為に来た埼玉の土建屋さんだそうで。長期で泊まって作業をしているそうです。

民宿むさしさんの玄関の調度品

民宿むさしさんの玄関の調度品

(民宿むさしさんの玄関の調度品)

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私は朝食後待ち合わせの時間までむさしの下の道を降りて見に行きましたが
途中から取り壊された土台だけの所が多くなっていきました。
海のほうではブルドーザーがもう動いていました、
さっきの人達かもしれません。建設中の家もありました。
戻ると菊池さんがお迎えに来てくださっていて、むさしを後にしました。

昨日は夜で暗かったのでわかりませんでしたが
高田に近づくにつれ町は段々被害の範囲が広大になっていきました。
陸前高田の町は海際の平地のところはことごとく津波が襲い
土を盛って家の土台を嵩上げしてる所やギリギリ小高い田畑や家までは
全てがもうすでに瓦礫が取り去ってあって後には野原の様に雑草に覆われていました。

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車は川に沿って走り、気仙沼中学の横を通りました。
4階まで津波が学校の中を通り裏側には波が運んで来た様々な物が突き出ていました。
その先には小学校があり、体育館は車が流れついて燃え真っ黒になっていました。

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川沿いに虹のライブラリーという仮設の図書館がありました。
そこは川から見て小高いところにあり、私は下からその建物を撮りました。
足元に食器のかけらが集めてあり真ん中には何故だか陸前高田の文字の入った食器のかけらがあり、 それが全ての象徴の様にも思えました。

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川沿いは延々と被害が続いていて、ここら辺は床下浸水という地域に差し掛かり、もう海とは全然関係のない山間部でしたが、川が強い波を運んで来た爪あとがあちこちに残っていました。

山道を少し入った所に八木澤商店の新店舗がありました。

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八木澤商店は文化4年創業(創業約200年)の老舗で醤油、味噌、たれ、つゆ等を扱っていて、津波で店と工場が流されてしまいましたが、一関に工場が新しくでき、店も最近できたそうです。
新しいお店は雰囲気もよく和やかで、もし旅先でこんなお店に入ったらきっとお土産を沢山買ってしまうんだろうなと思わせるような素敵なお店でした。
こちらの醤油や味噌を頂いて食べた事がありますが、味噌はほんとに自然な深みのある優しい味で、醤油はどこを捜しても嫌味のない澄んだ味がして料理に使うととてもいい味を出してくれる商品でした。

私達は八木澤商店を後にしてもう一度陸前高田の中心地に戻りました。

また再び川沿いに被害が続き、それは海に向かって広くひろがっていました。

part1終わり part2へ続く


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