2022年08月10日(水)

パン職人の修造 江川と修造シリーズ江川 Preparation for departure

 

パン職人の修造 江川と修造シリーズ 江川 Preparation for departure

 

 

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「もうすぐフランスだ」

 

夜の12時。

東南マンションの3階の自室で

江川は窓際のベッドに横になりながら

暗がりのカレンダーを見て呟いた。

 

 

そう、もうすぐ世界大会だ。

空手のじゃない。

パンの世界大会だ。

「色々あったなこれまで」

修造と出会ってからのあんな事やこんな事。

緊張でギラギラする。

でもまた倒れたらいけないから早く寝なくちゃ。

もうパンロンドはしばらくお休みして修造と2人で明日からホルツで特訓だ。

修造さんは凄いな。

全てを理解していてあんなに早く動けて。。

 

あ、早く寝なくちゃ。

 

修造さんも寝る前に音楽を聴くと良いって言ってたな。

リラックス音楽を選んでイヤホンで聴いていた。

でもまた考えてしまう。

他の国の人達はどんなパンを作るのかしら。

きっと凄いんだろうな。

そしてまたカレンダーを見た。

「もうすぐフランスだ」

 

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朝、修造と待ち合わせして電車に乗った。

もう何度となくこの電車に乗ってパンの修行に行き、そして帰る。

毎回困難な課題にぶち当たり、解決してまた一段階段を登る。

そうやって随分登った気がする。なのにまた次の段がある。

「今日は一から通しでやってみよう」

「はい」

「まあ理解を深めるって感じで」

修造はプレッシャーを与えないように軽そうに言った。

江川の目の下にクマができているからだ。

これから二人三脚でと言いたいところだが、シェフ側から見たら助手は同じ力では決して無い。

アルチザン(職人)

ブーランジェ(パン職人)

そしてその下で働く者はコミ(助手)と呼ばれる。

ちなみに「職人の・職人的な」はアルチザナルだ。

ブーランジェとコミは力のあり方が違う、だが心を合わせて頂上を目指すのだから同じ方を向いて力を合わせなければならない。

 

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ベッカライホルツの別室で作業中

「江川、もうパスポートはとった?」

「はい、持ってます」

「当日忘れ物が無いようにしないとな〜取りに帰れないし」

「めちゃくちゃチェックします」

「1日目は鷲羽達のとこに泊まるから」

「えっ?」

「今園部と鷲羽は学校の近くに2人で住んでるんだ。そこで受け取った※種をリフレッシュしなきゃ。それと向こうで仕入れもして当日鷲羽に届けてもらうんだ」

「もうそんな話ができてるんですね」

「うん」

「2泊目は大会の会場の近くに泊まる。会場でパンデコレの土台とかパーツを作らなくちゃ」

大会の後半、パンを作り終えたらすぐにパンデコレの組み立てが始まる。それまでにパーツは完璧に揃えないといけない。

そこで上手く行くかどうかまだわからない。初めて行くところで場所も設備も想像もつかない。

2人ともそこが心配だった。

「ま、条件は皆同じなんだし」

不安を打ち消すには練習しかない。

修造はパンデコレの各パーツの生地を自分の思った通りに平らに凹凸のないように焼成するよう調節した。

例えば葉っぱのパーツ一つにしても本体に添わせたいならそんな風に、立てたいならそんな風に作らなければならない。

本体に生地をくっ付けるのって凄く難しい。

やはり前回のように※相欠きのパーツ同士を継ぎ手を作ってお互いの凹凸を嵌め込むやり方と、本達に仕掛けを作って※ほぞ継ぎのパーツを刺していくやり方を組み合わせた方法がいいだろう。

 

 

大木と相談しながら時間の許す限り何度も練習した。

「縦のものに縦のものを挿すのだから継ぎ手はいるな」

「ですね」

江川は色とりどりの生地を手早く順番を間違えないようにする練習をしていた。

そして数日後

2人は動きを合わせ、やがてピッタリと欠き継ぎの様に息が合い、完成度が高まってきたと思う瞬間が増えた。

 

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翌日ホルツに来た2人に、大木が「紹介するよ」と言って何人かを連れて来た。

「修造シェフ!ご無沙汰しています.いや~またお会いできて嬉しいです」紺色のスーツを着た男が白い歯を見せて声をかけてきた。

「あ」見覚えがある。

「基嶋機械の後藤です。今日は社長の基嶋義信を紹介させて頂きます」

「確か、後藤さんとは選考会の会場でお会いしましたよね」

「覚えていて頂けましたか!社長!こちらが田所修造シェフです」

「田所シェフ、初めまして基嶋です」

「どうも」

「修造、基嶋機械さんは今回の大会の後押しをして下さるからな」大木が基嶋機械がスポンサーになっていることを伝えた。

「ありがとうございます」

「担当は後藤ですので困った事があったらお伝え下さい」基嶋は後藤を前に出した。

「シェフ、これからよろしくお願い致します」

「はい」

そして次のブラウンのスーツ姿の男が名刺を出してきた。

「私、興善フーズの営業主任の青木 康裕と申します。担当の五十嵐良子です」

といってもう一人の女性社員を手で指した。

「五十嵐です。ライ麦の試食をして頂いた者です」

「その節はどうも」

修造は知らないが、青木は選考会で修造が壊したパネルの後始末をしてくれた男だった。

「必要なものは五十嵐にお知らせ下さい」

「私が食材を手配致します」

「ありがとうございます」修造は頭をちょっと下げた。

他にも何社かの営業の者が挨拶に来ていた。

「そしてこれ」大木が大会のユニフオームを修造と江川に渡してきた。

「フランスから送られてきたんだよ」

 

 

江川は早速ユニフオームを広げて大喜びだった。

「わあ〜!かっこいい」

「さあ、では行きましょうか」後藤が白い歯を見せて張り切って言った。

「え?どこへ?」

「写真撮影です」

いくつかの企業がスポンサーとなることで資金面で選手も助かるし、企業側も認知の拡大、自社の製品の知名度の向上やイメージアップができる。企業共有の写真を撮りに行く事になった。

実際勤め人の選手には資金面の心配までしていては集中力が削げる。

 

「私がお連れします」と言って、後藤は修造と江川、大木を車に乗せてスタジオに向かっていた。

私が大会が終わってもお付き合いしますのでなんでも相談して下さいね」

「だってさ、修造!大船に乗った気でいろよ」と大木が言った。

急接近してきた後藤になんだか背中がこそばゆいが、やはり助かる。世間知らずの修造は直球を投げた「見返りに何かするんですか?」

大木が「ほら、あるだろ?スポーツ選手の肩や腕のところに企業名が付けてあるだろ?あんな感じだよ」と、また振り向いて言った。

「あぁ!はい!あれ!」

カタログや業界新聞のうちのスペースにシェフとうちの機械を載せるんです」何も知らないのでこちらのペースに乗せやすいかもしれない。

「それと、次の展示会ではうちのブースでデモンストレーションをして下さいね」

「あのオーブンやらが沢山並んでる所で?」

「はい、実際に基嶋のミキサーやドウコンを使ってパン作りをして頂きます

「後藤君、そういうのは大会が終わってからにしてね」と大木に釘を刺されたので笑って誤魔化した。

「凄い、僕達の知らない別世界」と、後部座席で黙って聞いていた江川が大人の世界を垣間見てちょっと心躍った。

スタジオに着くと早速さっきの大会指定のユニフォームに着替え、3人で並んだ。

「色んなポーズするんですか?こう?」

などと江川が張り切っているが修造は内心嫌がっていた。

本当は写真撮影は苦手だが仕方ない。。

黙って突っ立っている修造にカメラマンが穏やかに声をかけた。

「右の後ろの方、もう少し隣の方に寄って下さい。はい!笑って下さーい」

笑ってと言われてどんな笑い方をすれば良いんだろう?

何度も撮り直すので大木が振り向いて修造の顔を見た。

「おい、笑えって言われてるだろ?」

「はあ」

口角を上げてみた。

 

 

ぎこちな過ぎる。

「修造さん、こうですよ」

江川がにっこりとして見せた。

「えーと」

強い目力に更に力が入り、口の両端を上げた。

こわ

カメラマンが困っていたので江川が「そうだ!大地ちゃんを思い出したら?」とアドバイスしてきた。

あの可愛い大地を。。

修造の顔が急に綻んだのでやっと良いのが撮れた。

「江川ナイスアシスト」と大木がほっとして言った。

「次はお一人ずつ撮りますね」

「えっまだあるの?」

「良い写真が撮れないとずっと撮り直しになりますよ」

さっさと撮り終えた江川が言った。

「う、うん」

 

「修造さんもう少し笑って下さい」こういう事の苦手な修造は何度もカメラマンに言われていた。

「もう少し斜に構えてカッコいいポーズも撮りましょう」

「え」

もう言われるがままに指定の格好をするしか早くこの場から逃れるすべは無い。

「腕を組んで」

「もっと笑って」

 

色んなポーズを撮るカメラマンとなすがままの修造を見ながら後藤は考えていた。

この人優勝してもしなくても結局店を持つんだろうな。今からうちのいい中古を探しておこう。まだそんなに使ってないものを会社の者が何処かで見かけたら俺に言う様に言っておこう。どのぐらいの規模なのかな。一等地に狭い店を構えるのか、郊外に広い店を持つのか。やっぱパンロンドを拠点に考えるのかな。今ガツガツ聞くと大木シェフに叱られるな。それにしても随分この2人を可愛がってるな。息子みたいにしてる。

 

それと

江川を見た。

こちらの助手の少年もそのうち名前が知れ渡っていくだろう。デジタルタトゥーの意味合いとは逆に名誉なこともネットにあげたら中々消えないもんだ。

今月はこの2人の特集をうちの取材として業界新聞やホームページに載せる予定だし。

 

後藤はにっこり笑って「江川さん、手伝います」と声をかけ、受け取った新品のユニフォームをさっき開いた筋目の通りに畳んで袋に入れ直した。

「ありがとう。ねぇ後藤さんの仕事って何する人なの?」

「私の会社はパンやケーキ、ピザを作るのに必要な機械を作っているんです。パンロンドにも窯やホイロ、ドゥコン、ミキサー、パイローラー、※モルダーがあるでしょう?」

「はい!あります!」

私の仕事はそれらの新製品を皆さんに広めて買っていただく事なんです。今回江川さんともお知り合いになれたので、今後何かあったら基嶋機械の後藤をよろしくお願いします」

「僕がいつか自分でパンの機械を買う日がくるのかしら。。想像もできないです」

まだ貯金もないのに大それた買い物は考えも及ばない。

なので修造さんがもしもパン屋さんをやったら僕もついて行くつもりです」

「そうなんですね、私とはずっと仲良くして下さいね」後藤は笑顔を見せた。

「ところでね江川さん」

「なあに?」

「修造さんは何か趣味とかあるんですか?休みの日は何をされてるんです?」

「修造さんはパンロンドに来るまで空手をやっていたそうですよ。休みの日は家族と過ごしてるんだ、結束が固くてその時は僕は近づけないんだ」

「そんなに寂しそうに言わないで。修造さんのお店でまっさらの綺麗な設備に囲まれて仕事している所を想像してみて下さい」ちょっと新品案件も刷り込んでみる。

「それ凄くいいですね。楽しそう」なんだかアミューズメントパークみたいな感じがする。

「希望が湧いてきたでしょう」

「はい」江川の表情がぱっと明るくなった。

「これ見て下さい、うちのピカピカのオーブンです」

後藤はカタログを見せながら、江川にこれまでのパンの活動について聞いた。

 

その後

やっと修造の撮影が終わった。

着替えを手伝ってやりながら後藤は頭の中の算盤が止まらない。選考会の時、修造のパンを見てグンとテンションが上がったままなのだ

後藤は自販機の所に行き修造にカップのコーヒーを入れて控室に戻った。

「修造さん、お疲れ様でした。これどうぞ」

「あ、どうも」

これを飲みながらうろうろする者はあまりいない、座った修造の横に自分も座る。

「私は2人子供がいましてね、休みの日なんて家族サービスで大変です、でも子供達の笑顔を見ると不思議と疲れが吹っ飛びます」

「後藤さんのお子さんはまだ小さいんですか?」

「はい5歳と3歳です。良いですね子供は」

共感とシンパシー。後藤が客に対して営業で心がけている事だ。

「俺も子供がいるんです。上の女の子はとても好奇心が強い子で、下はもうすぐ4か月になります。可愛いですよね」

「ね!」

2人は顔を見合わせて笑った。

そのまま後藤はレコーダーのスイッチを押して修造にパン作りについて色々話しかけていった。

 

ーーーー

 

アパートの部屋に帰った修造は黙って入って来た。

「お帰り修造」律子が静かに小声で言った。

「ただいま」と帰って来たよのハグをした。

「子供達は?」

「寝てるわ」

「今日ごめんね遅くなって」

「なにかあったの?」

「今日撮影があって。それにインタビューめいた事もあったよ」

 

ソファに座ってふ~と息を吐く。

頭を背もたれに乗せて「スター選手の真似事は俺には向いてない。ああいうのは江川に任せておけばいいんだ」と泣き言を言った。

律子が横に座って手を握る「もうすぐフランスに行くからその準備が忙しいのね」

「何かのカタログとか新聞にに載るんだってさ」

「早く見たいわ」

「出来上がったら貰って帰ってくるよ」律子は疲れた修造の顔を覗き込んだ。

「大会が終わるまではパンの事だけ考えて。私達は大丈夫。何も心配いらないわ。そのカタログと新聞を部屋に飾っておくね。ずっと応援してるわ」

気丈夫な愛妻らしいきっぱりとした言い方に修造は愛おしさが倍増した。

 

 

「律子ありがとう」

「大好きよ修造。ずっと」

「俺、律子に出会えて良かったよ。何に感謝していいか分からないぐらい」

 

ーーーー

 

後藤は社に戻ってすでに出来ていた原稿の枠に記事と写真を載せて印刷するように指示した。

そうしてできた記事の載ったカタログと新聞は広く業界に送付された。

私達は日本チームを応援しています。とでかでかと載せた。

基嶋のホームページは新しく作り変えられた。

基嶋は本気を見せた。

私達は日本チームを応援しています。

内緒だが世界大会で優勝した時の為のものもすでに出来上がっている。

カタログなどを持ってきた後藤と五十嵐と他数名がフランスに応援に来てくれるらしい。現地で知り合いが多いのは心強い事だ。

「よろしくお願いします」修造も何度も営業の人達と話すうちにそんな挨拶が身についてきた。

 

ーーーー

 

「親方、みんな、俺たち行ってきます」

修造と江川は選考会の時の様にパンロンドの人達に挨拶した。

「修造、フランスに一緒に行けないけど、俺はずっと応援してるからな」

どんな時でも仕事の手を休めない親方らしい応援の仕方た。

「修造さん、江川さん頑張って下さいね」と藤岡が

「イェ〜ファイト〜。トロフィー見せてくださいね〜」と杉本がはじけた。

「忙しい時に休んでごめんね。僕頑張る」

「行ってきます」皆それぞれグーをトントンと突き合わせて2人を見送った。

全ての荷物を送って無事に会場に就くように祈る。·

 

 

「行こうか江川」

「はい」

 

 

成田を21時40分に出てシャルル・ド・ゴール空港に9時40分着。

19時間でフランスだ.

 

 

とうとう旅立つ時が来た。

 

おわり

 

種をリフレッシュ  ライ麦のサワー種は固い生地で低温で長期間保存すると酢酸が多く生成される。今回はそれを防ぐ為に種継ぎ(リフレッシュ)する。旅先だが、あまり酸味を強くせず、乳酸を増やす操作をしようと修造は考えていた。

相欠き(あいがき)は木材の継手の一種で、下の上の図のように板物や角材の継ぎ方をいう。角材などを互いに半分ずつ欠きとって、切り取った部分を繋ぐ方法。おおむね材の厚さ分の長さを、互いに重ねることが多い。

ほぞ組みとは、脚物家具(椅子やソファなど脚付きの家具)に使われる木材の接合方法のひとつ。

※モルダー  製パン用の機械のひとつ。丸めた生地をモルダーに入れると伸ばして生地のガスを抜き、機械の中でコロコロ転がってロール状(コッペパンみたいな細長い形)になって出てくる。プラス板の間隔の調節で食パンなどの大物から小さなロールパンまで対応できる。

 


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