2023年04月15日(土)

パン職人の修造 江川と修造シリーズ リーブロプレオープン

 

 

パン職人の修造 江川と修造シリーズ リーブロプレオープン

 

 

新しくお店を構える時

それが初めての時

様々なトラブルが起こる。

そしてそれは大抵お客様の目に入らない裏側で起こる。

 

 

あの古びた建物は塗り替えられ、壁紙も床も綺麗になった。棚もテーブルも椅子も、そしてレジ台も整った。

外にはまだ植えたばかりの花が咲いていてドイツ風のタイルと芝もカッコいい。

そんなパン屋

Bäckerei Leben und Brot(生活とパン)がとうとう出来上がった。

江川はリーベンアンドブロートは長いので『リーブロ』と呼んでいる。

 

ピカピカのオーブンがある工房でスタッフが集められた。

皆真ん中の台の周りに立っている。

江川がみんなに向かって手を上げた。

 

「はーいみなさん。お仕事の役割を伝えますので修造さんから順に言っていきますね」

皆に役割を伝える為だ。

「田所修造さんが統括、生地の仕込みその他、事務、店舗管理。僕、江川卓也は生地の仕込みと材料管理。立花杏香さん登野里緒さんが仕込みや成形担当。和鍵希良梨(わかぎきらり)さんと平城山妙湖(ならやまみょうこ)さんは成形と仕上げ担当。西森昌也さんと大坂芳樹さんが焼成。そして店のスタッフのレジや品出しは安芸川御世理さんと姉岡志津香さん。カフェ担当の岡田克也さんと中谷麻友さんです」

「よろしくお願いしまーす」

皆江川が面接した経験者ばかりだ。これからみんなでバリバリパン作りをして行くのだ。

今日はオープンに向けて慣れていく為に試運転。

それぞれが与えられた表を見ながら仕事していた。

それを見て修造は心からホッとしていた。

あー

苦労した甲斐があったな。

良い店ができたよ。

 

ーーーー

 

「修造さ〜ん」

和鍵と平城山が寄って来た。

「では一緒にブレッツエルにラウゲン液をつけていくから平城山さんは見ててね」

「はい、お願いしまーす」2人は明るく返事をした。

 

 

手袋をした和鍵がまずラウゲン液の入った容器に冷蔵庫から出してきたブレッツエルの生地を漬ける、やはり手袋をした修造が液に潜らせてからベーキングシートを引いた天板に並べていく。

それをどんどん作ってラックに差していく。

その後はカットして粗塩をかけたりチーズをトッピングして焼成の担当が焼いていく運びになる。

和鍵は修造にピッタリ寄って液に生地を入れていった。

平城山も修造に近過ぎる距離で見ている。

なんだか狭い「危ないからもう少し離れてね」

「だってシェフの手元をよく見ておかないと」

それはミキサーの前の江川から見ても近過ぎると思った。
「ねえ、もう少し離れないと修造さんが困ってるよ」
江川に注意されて2人からチッと声が聞こえて来そうだった。

「じゃあ平城山さん手袋をして続きをお願いね」

「はーいシェフ」

2人はちょっとだけ江川を睨んでから作業を始めた。

 

ーーーー

 

3日後にプレオープンを控えていてその件でNNテレビのディレクター四角志蔵がやって来た。

「どうも修造シェフ、想像を超えた良い店ですね、都心からは遠いですが広くて癒しの空間ができている。外のベンチに座って美味しいパンをのんびり食べてピクニック気分を味わえる」四角は店の入り口に立って周りを見渡した。

「どうも」

「早速ですがこれ」と言って四角は台本を渡して来た。

「俺こういうの苦手で」

当日は桐田美月とマウンテン山田さんが来て店の外観を案内した後シェフにお話を伺います。もし苦手なら台本は参考程度にして思いの丈を仰って下さい。当日は11時から始まるプレオープンまでに収録を終えるつもりです」

 

ーーーー

 

さて、プレオープンの日は直ぐにやって来た。

 

9時頃、江川が「修造さん、NNテレビの人達が来ました〜」というので外に出てみる。

駐車場に停まった大型車から人が何人も降りて来た。

スタッフに囲まれて芸能人オーラバリバリの美しい女性が立っている。「あの人が」と、修造と律子が同時に言った。

「桐田さんって綺麗ね」刺す様な感じで律子が言って来た。「えっ」全く身に覚えがないのに愛妻からヤキモチを焼かれる。


桐田はすぐに入り口で立っている修造をロックオンした。

 

 

前から熱い眼差し、後ろから刺す様な視線を感じて足元が冷たく感じて身震いする。

「桐田さーん」江川も出て来て出迎えて声をかけた。

「シェフ今日はよろしくお願いします」

「どうも」

「江川さん、約束通り連絡ありがとう」

「こちらこそ来てくれてありがとう」2人はニコッと笑い合った。そこに律子が「お世話になります。修造の妻です」と言って来た。

「あら修造さんって結婚なされてたのね。オホホ存じませんでしたわあ」

と言ったが後で江川に聞いた「ねぇ、なんでシェフは結婚指輪をしてないの」

「だって生地に引っ付いて抜けると困るから」

「そうなのね、全然知らなかったわ」

 

ーーーー

 

さて、撮影が始まった。

マウンテン山田と桐田が駐車場の入り口から駐車場が広いとか花が咲いてて綺麗とか説明しながら建物に近づいて来る。

スタジオではみんなが見ている画面に「パンの世界大会の覇者のお店リーベンアンドブロート」とか画面に大写しにされているのだろう。

マウンテンがやっとこっちに辿り着いた。修造と江川が入り口に立っている。

「はい!こちらが世界一の男!田所修造シェフと助手の江川卓也さんです!シェフ、いい店ですね〜」マウンテンが話しかけた。

「どうも」修造は前で手を組んで丁寧に頭を下げた。

「早速店内を見てみたいと思います」マウンテンと桐田が順にパンを見ていると「修造さん」と販売員の中谷がこっそり言ってきた「これ」

見ると自分の造作した棚の端が外れて落ちかけている。

修造は声を出さずに思い切り目を見張った。

中谷が力を込めて棚が落ちないように持っていたので慌てて自分が後ろ手で持つ。

身体をカメラの方に向けたまま立っていると、桐田とマウンテンが店内を一周してカフェの所に座った。

そこに用意したパンの乗ったトレーを修造が持っていく事になっていたらしく、スタッフが渡しに来た。仕方ない!修造は四角に目配せして棚を少しだけグラグラして見せた。

今度は四角が慌てて代わりに持ってこっそり言った「シェフ出番です」

手が離れた修造は急いでトレーを持って2人にパンの説明をしに行った。

「このお店のこだわりは何ですか?」

「この店でお勧めしたいのはドイツのパンと前にいた店のパン、大会で作ったパンなどが並んでいます、これはブレッツエル、そして自分がNNテレビさんの番組に出てる時に考えたスパイシーなカレーパン、そして」と言って振り向くと江川が黒いパンにチーズを格子状に乗せたパンとゼリー寄せを用意しているので、修造がパンを開くとさっと江川がゼリー寄せをカットして素早く間にはさんだ。

「どうぞ」と言ってテーブルの2人に出すと「おーっ」と声が出た「これは何でんのシェフ」

「珍しいパンですね?ゼリー寄せ?」

「カフェ専用のパンなのですが、これは何種類もの野菜を使ったゼリーで昆布と鰹の出汁を使ったタルティーヌです」

 

 

「あ!ほんまや!出汁の味がするわ」

「パンも美味しいです、この黒いのは何ですの?」

「こちらは竹墨を使っています、焼きたての薄いパンに急いでチェダーチーズを乗せています」

「へえ〜変わっててほんで美味しいなあ」

「本当にどれも美味しかったですわシェフ」

とそこで一旦カットになったので麺棒を持ってきてつっかえ棒にして棚を支えた「ふ〜重かった」

「すみません四角さん」自分で作った棚が外れるなんて恥ずかしい。

「いえいえ、音が立てられなかったんだから仕方ないですよ」

「後で自分で直しておきます」と麺棒の横にパン箱を差し込んで棚を支えた。

「さ、次は江川さんの番なので先に撮っていきましょう。江川さんお願いします」

江川も2人に修造の作ったパンについて詳しく説明した。受け売りでは無い自分の言葉で説明している、そんな江川を店員に紛れてお手伝いに来ていた小手川パン粉が微笑ましく見ている。

「パン粉ちゃん」江川がパン粉を呼んだ「実はパン粉ちゃんにも駅前のチラシ配りや今日のお手伝いもかって出て貰いました」

「あ!意外なところにパン粉ちゃんやん」マウンテンはさっき挨拶したのに知らなかった感じで言った。

「こんにちは〜パン粉で〜す。最近のパン粉のお気に入りはリーブロなんですが、江川職人とはテンションが合うんです」

「パン粉ちゃんから見てこのお店はどう?」

 

 

 

「頑張ってパン作って、お店作って、お客さんが喜んで、素晴らしいじゃないですかあ。特にこのお店の凄いところは修造シェフと江川さんって世界大会にでてこの店でもタッグを組んでるんです、そのパンをここに来るだけで食べられるなんてなかなか無いと思います、今日お勧めしたいのはドイツで修行してきたパンとパンロンドのパン、世界大会の3つの流れが楽しめる所なんです。それって修造さんが江川さんの為に考えて、修造さんと江川さんのパン作りの歴史を辿ったものなんです」

「へええ〜」桐田とマウンテンはパン粉のリーブロへの思い入れに対して感嘆の声を上げた。

長尺だったがパン粉が熱く語ったのをカメラでバッチリ撮っていた。

さて

撮影も終わった頃、工房の中からボールや麺棒が落ちた様な音が聞こえてきた。

ガラガラバーン!

「なんだ?」修造が見に行くとオーブンの前で西森と大坂が摑み合いの喧嘩をしている

「やめてやめて!どうしたんだ一体」

「こいつがパンを焼くタイミングが遅くて」

「お前が速いんだ!まだ発酵してないだろ!」

その理由で掴み合いの喧嘩になるのか?

「とにかく落ち着いて」

「もういいです!こいつとは仕事できません」西森が2階に上がった、きっと帰る為に荷物をとりに行ったんだろう。

「私見てきますから」立花が追いかけて行った。

修造は大坂を店のテーブルに座らせてコーヒーを飲ませた「みんな前の店のやり方があるんだな、この店のやり方とかまだ身についてないから揉めたんだよ」

「すみません、カッとなって」大坂ががっくりパワーダウンしてきた。

「俺、すぐカッとなるんです」

「うん」

「前の所でも喧嘩して」

「それで辞めたのか」

「はい、でも折角入ったリーブロ、俺辞めたく無いです」

「うん」

ところで今パンを焼く人間がオーブンの前にいない。

「撮影は江川に任せて俺がパンを焼いてくるから落ち着いたら戻ってきてね」

「はい、すみませんでした」

そこへ立花が戻ってきた「あの」

「うん」

「引き止めたけど帰ってしまいました。もう来ないかもしれません。力及ばずですみません」

「立花さんが悪いんじゃないよ。忙しい時にごめんね、後で電話してみるよ」

「はい」

「予想もしない事ばっかり起こるな」そう思いながら修造はどんどんパンを焼いていった。

 

ところでまだあの争いは起こり続けていた。

芝生のところで子供達とボールで遊んでいる律子と待機中の桐田の目が合った、お互いに会釈したが目は笑っていない。

「私、男の人は自分の事だけ見てくれなきゃと思うわあ」

横に立っていたマウンテンは桐田の言葉を聞いて、なんかバチバチになっとるで、奥さん平凡そうやけど気がキツそうやし、あの気位の高い桐田美月がこんな顔するなんてシェフも罪作りやなあ、それにしてもどこがええねん、いつも遠くばっかり見て!どこ見とんねん。

 

 

そうや前や!真っ直ぐ立って前だけを見て生きとるねん。ちょっとも他所見せえへん、そこが惹かれるんかもなあ。

「そういえばね、桐田さん。僕以前パンロンドでロケやった時に奥さんの作った料理を目隠しで当てるっちゅうやつをやった時、シェフが奥さんの為に必死で当てにいってたのを思い出しましたわ」と言った。

「え、すみません見ていなくて」

「そんな2人を見て、やっぱ今までずっと支えてきはったから絆があるんやなあと思いましたわ」

それには桐田は返事をしなかったが、十分に説得力があった様にマウンテンには見えた。

 

「さ、僕らは僕らの場所へ帰りましょか」

「そうね」

 

2人はリーベンアンドブロートから遠ざかりながら話した。

「僕の方が独身やしええ男やのに」

「バカね」

「バカやないねんアホやねん」

「フフ」

 

ーーーー

 

ロケ隊が帰った

11時からは本格的に招待客が来る。

大坂はしばらくすると窯の前に来て「すみませんでした」と言って修造と一緒にパンを焼き出した。今度は修造の焼くタイミングをよく見ていた。

「修造さん、今日遅番だった登野さんが体調悪くて来れないと連絡ありました」

「わかった、江川、登野さんのポジションに行ってくれない?」

「わかりました」江川は早速冷蔵庫からバターを折り畳んだ生地を出してきてパイローラーで伸ばしてそれを長い三角にカットして成形を始めた。時間が押している、なるべく素早くやりたい。

和鍵と平城山は同じ台の上で作業していた。2人は気が合うのかおしゃべりしながら成形している。もう2人も欠けてるのにこの呑気さはなんだろう。目の前にいてる江川には不思議な光景だった。

「あのさ、お話をしたらいけないとは言わないからもう少し早く手をうごかさないと、ね」結構優しく言ったつもりだったのに2人の表情は急に引きつってそれ以降何も話さなくなった。

 

江川は急いでデニッシュとクロワッサンの成形を済ませてホイロへ入れた後、本来の自分の持ち場に戻りミキサーで生地を捏ねだした。

あの2人は江川を見ながら何か言っていた。

 

ーーーー

 

11時になった

 

開店当日さながらにパンが並び、招待状を出した人達がやって来た。

「よう修造」

「大木シェフ、鳥井シェフ、どうも」

「良いパンが並んでるじゃないか」

「ありがとうございます」

「落ち着いたらゴルフに連れて行ってやる」

「ゴルフ、、俺やった事なくて」

「俺が教えてやるよ。道具も貸してやるからな」

「大木は修造とゴルフに行きたいらしいよ」と鳥井が大木をからかった。

「フン!また連絡するからその時は来てくれよ!他所のシェフが集まるコンペでお前を紹介するからな」

はい」

 

 

招待客が外に並んだ、

新しい店のオーナーが挨拶するのを聞いている。

まあ、話すのは修造なので「どうも、この度は、あの、ゆっくりしていって下さい」で終わりだったので、代わりに大木が皆に挨拶して、修造のプロフイールについて話していた。

修造が挨拶しに来た基嶋機械の後藤と話している間に、パンロンドの杉本や藤岡達4人を見つけた江川が走って来た「みんな久しぶり~」

「今日来れなくてごめんねって奥さんと親方が言ってたわよ」と風花が言った。
「仕方ないよ今日定休日じゃないんだし、さ、お店に入ってパンを選んで!パン粉ちゃんを紹介するね」

「え?パン粉ちゃん?」みんなの目にはパン粉は江川にとって特別な存在に見えた。江川の隣に立って時々目が合うとお互いにニッコリしている。

「とっても気が合うんですねパン粉ちゃんと」

「うん、そうなんだ藤岡君、今度の休みもパン屋さん巡りに行くんだ」

「楽しんできて下さいね」

「うん」

 

4人がパンを選んでいると修造がやって来た。

「修造さん、素晴らしいお店ですね、いいパンが並んでる」

「今日、パンの発酵の事で喧嘩が起こったり欠員があったりで江川にも忙しい思いをさせたけど頑張ってくれたおかげで助かったよ」

「発酵の事で喧嘩するなんてあるんですね」

「なまじっか経験者が多いから自分の意見を通そうとするんだろう、その内ここのやり方がお互いに定着するんだろな」

「もうすぐオープンですものね、力を合わせて頑張って貰わないと」

「俺も気を配るよ。帰った方も明日来るってさ、当分は日をずらして別々に教えていくよ」

 

ーーーー

 

昼すぎ

いい天気で時々爽やかな風が吹き抜ける。

藤岡達はそれぞれ選んだパンとコーヒーを外のテーブルに持っていって食べていた。

「美味しい~このクロワッサンパリパリだあ~」

「このタルテイーヌも最高!」

「俺さっき江川さんにゼリー寄せのパン作って貰った」

「あ、龍樹!半分こして、それ食べてみたかったやつ」

「オッケー風花」

 

仲良くパンを分けっこする杉本と風花の向かいに座って、隣の藤岡に聞いた。

「あの」

「何、由梨」

「さっきの発酵の事で喧嘩が起こったってどういう意味でしょうか」

「そうだな、パンを焼くのにも範囲があるんだ」

「範囲」

「そう、成形が終わってホイロに入れた時の状態から過発酵までの間で丁度いいところで焼く、その範囲の事だよ」

由梨はそう話す藤岡の顔をじっと見ていた。

「例えば菓子パンなんかは焼く前にパンの端を少し押してみると、丁度いい時は指の跡が少し残るんだ。まだだとすぐ戻るし、行き過ぎてると潰れたままになる。食パンなんかは型の8割まで発酵させて窯に入れるんだけど早過ぎると角が丸くなり過ぎるし過発酵だと上がり過ぎてケービング(腰折れ)してしまう」

「そんな事で喧嘩に」

「ま、多分『範囲』の基準が違ってお互い許せ無かったんだろうな。凄く微妙な事と思うけど」

「はい」

「今度焼くときに実際に見せてあげるよ、慣れてくると見たら分かる様になるから」

「はい!」由梨はにっこり笑った。

 

それを見ていた風花が「ちょっとちょっと龍樹」とパンを頬張っている杉本を引っ張ってこっそり言った。
「あ?何?風花」

「あっち行こうよ」

「え?なんでよ」

「だって由梨ちゃん達いい雰囲気じゃない?」

「そうかなあ」

 

その時丁度近づいてくる風花達を見つけて店の中から修造が手を振りかけた。

 

「あ」

その後ろの駐車場から歩いてくる3人に気がつき「鴨似田フードの奥さん!」と小声で言った。

 

以前藤岡のイケメンぶりに惚れ込んで連れ去ろうとした人だ。

鴨似田夫人はいつものお付きの2人を従えてこちらに向かって歩いてくる!

 

 

少々破天荒な人なんだ
改心したとはいえ会えばどうなるかわからない!

修造は自分に視線が来るように「鴨似田の奥さーん」と手を振りながら走っていった。

「あら、修造さん。先日は本当にご迷惑をおかけ致しました」

「いえ、あのう、開店に先駆けてご協力ありがとうございました。本当に感謝しています。さあ店内へどうぞ」とお店に案内してから藤岡に隠れろと合図した。

藤岡もそれに気がついて咄嗟に建物の裏手に隠れた。

「修造さん、今日はあの方はいらっしゃいませんの?」

「はい、いませんいません全然いません」修造は手を左右にプルプル振った。居てると言ってるようなものだ。

「お渡ししたい物があったんですのに」

「旦那さんに叱られますよ」

「大丈夫と思いますわ」

自由すぎる鴨似田夫人は例の手下2人に周辺を探させた。どちらにせよもうすでに招待客がSNSに載せていたプレオープンの挨拶に藤岡が写り込んでいたか調べてあるのだ。

裏手に回って隠れていた藤岡とそれについて来た由梨は足音に気がついた。

「藤岡さん、こっちです」そう言って掃除用具の入った小さな物置に入った。

由梨が戸の隙間から覗くと男2人が素早く通って行った。

「何故探すのでしょう?」

「以前俺のことを気に入って攫おうとしたのはあの人だよ」

「あの人が」

すると藤岡が由梨の腕を掴んできた。

えっ?藤岡さん?

ひょっとして

献身的に過ごしてきた由梨の思いがついに通じたのか?

ドキッとして由梨は振り向いた。

「怖い、無理」

「え」

藤岡は暗いのが怖くて震えている。

飛び出したい気持ちを抑えて必死の藤岡を見て由梨はキュンとした。

可愛い

「昼間だし怖くないですよ」そう言って両手を握った。

「ゆっくり息を吸って、吐いて」

藤岡は子供のように言われた通り息をゆっくり吸って吐いた。

 

 

「由梨」

少し落ち着いてきた、そう言おうと思った時扉が開いた。

「見つけましたよ、藤岡さん」

 

ーーーー

 

藤岡はベンチに座って優雅にお茶している鴨似田夫人の前に連れてこられた。

「藤岡さん、こんにちは」

藤岡は何も言わずにその場に立っていたので修造が説得した。

「奥さん、あの後反省してたってメリットストーンの有田さんに聞きましたけど」

「はいその節はすみませんでした」

「じゃあなんで」

「お渡しして」鴨似田はお付きの男に合図した。

「こちらどうぞ」

藤岡は箱を持たされた。

「これは?」

「はい、それで洗うとどんな足の匂いもスッキリ爽快になる石鹸ですの。フランスから取り寄せました、足りなくなったらまたおっしゃって下さい」

その瞬間藤岡が修造を睨みつけた。

以前藤岡に入れ込んだ鴨似田夫人の熱を下げる為に「藤岡は足が臭いし性格も悪い」と吹き込んだことをまた蒸し返えされたのだ。

折角収まった怒りがまた込み上げてくる「クッ」

立場無く修造が「あれは違うんです、あれは俺がその場しのぎで口から出まかせを」

「あら、そうなんですの。私てっきり悩んでらっしゃるのかと思いましたわ」

「それなら心配ありません。足も臭くないし性格は凄くいい方です」誤解されたままだと気の毒なので由梨が突然割って入った。

「この方はどなたですの?」

「俺の」

俺の?みんなが藤岡を見た。

とその時

 

 

「修造さーん」

立花が店の中から呼んでいる。

「どうしたの立花さん」

「エスプレッソマシンが調子が悪いそうです」

「すぐいくよ」

そう言って鴨似田に頭を下げて「すみませんちょっと見てきます」と言って走って行った。

 

由梨は『俺の』の続きが気になって振り返って藤岡を見た。

「え」

さっきまで立っていた藤岡は急にベンチに座り込んで店の方を見ていた。

そして少し下を見たまま黙り込んだ。

鴨似田達は違和感を感じたが由梨にそんなに興味がなかったのか「それではこれで」と言って駐車場に向かった。

 

「由梨ちゃん」風花が話しかけてきた。

「はい」

「龍樹がそろそろ帰ろうって」

その言葉に促されて4人で歩き出したが藤岡は考え事をしてるのか心ここにあらずでただ歩いてるだけになってしまっている。

さっきまでの藤岡とはまるで別人だ、それはあのお店から顔を出した女の人を見た時から?

「立花さんって言いましたね」由梨は試しに名前を言ってみた。

関係ないなら無反応、もし的を得てたら藤岡がずっと探していた女性だ。

「うん」

「そうなんですね」

帰りの電車で由梨は杉本と風花に、藤岡は調子が悪いのだと言って座らせた。

 

 

あの人が

 

とうとう見つけたんだわ。

 

こんなに心を支配されるぐらいの存在なんだわ。

 

由梨は吊り革につかまって藤岡を見ていた。

 

ーーーー

 

エスプレッソマシンは故障とかではなく、挽きが細かすぎて抽出が遅いせいだった。

全員がまだ慣れていないので仕方ないが原因がわかればなんの事はない。

「粉を挽く荒さを調整する事で解決だな」ほっとして外に出るとみんな帰っていていない。

「もう夕方だもんな」

そう言って帰路に着く招待客に丁寧に挨拶していった。

 

「修造シェフ」駐車場から呼ぶ声がする.

「はーい?」

「車の鍵が見当たらないんですの」
パン好きビクトリィの会長横田元子が車の周辺をキョロキョロ探している。

「鞄の中では?」

「違うようです」

見ると鞄の中身がぶちまけられている。

「俺、店の中を見てきます。」

「すみませんシェフ」

修造は誰かがキーを蹴っとばしたりしてないかと這いつくばって探した。

「店の中じゃないのかなぁ」

一応皆んなが片付け中の工房も見てみる「ないなあ、車の鍵知らない?」

「見ませんでした」「見ませんでした」と皆んなに言われる。

じゃあ外か、、、

「横田さん、見つかりましたか?」

「まだなんです」

「何れかのテーブルに座られましたか?」

「はいそこのテーブルに」

ひょっとしたらこの近くの芝の中か?

手の平で丁寧に探してるうちに腰が痛くなってくる「イタタ」

「すみませんシェフ。こんな時にお願いが」

「なんでしょう」

「今度シェフの独占インタビューをさせて頂けませんか?」

「はい、良いですよ。喜んで」と言ったが自分の事を話すのは苦手だ。

その後なんだか気が重くなって何も話さなくなっていく。

黙ったまま探す範囲を拡大する。

江川が来た「ねえ、何やってるんですか?」

「横田さんが車の鍵を無くされたんだ」

「僕も探します」

江川は何故か横田の近くで探し出す。

「横田さんって凄い超有名人ですよね」

「いえいえ大した事ないですよ」

「いつもテレビ出てますよね、僕休みの日はお昼の番組のパン屋紹介のコーナーチェックしています」

「私のコーナーね」

「そうそう」

「長い事コーナーを維持するのって大変なのよ。でもこうして良いお店ができて自分の紹介したものを観て色んなお客さんが来てくれるとパン屋さんの為になるしパンを買った色んな人が喜んでくれるの」

「あ、それパン粉ちゃんも言ってました」

「パン粉ちゃんと仲良しなのね」

「はい!とっても」

「そう、今度ここの紹介をする時にパン粉ちゃんをゲストで呼べるか聞いてあげる」

「え!ほんと?パン粉ちゃーん」江川が店に向かってパン粉を呼ぶと、パン粉がパンの袋を持って出てきた。「江川職人!これ誰か忘れて帰ったよ」持って走ってる途中、ガサガサとパンの袋の下の方で重いものが入っている「何これ?」袋から取り出したのは車の鍵だった。

 

 

「あ!」

「それ」

「私のパン!」

「見つかった〜」と3人が叫んだ。

 

 

もう薄暗い駐車場、車の中から横田と送ってもらえる事になったパン粉が「じゃあまた」と挨拶した。

「シェフ、本当にすみませんでした。近いうちにインタビューにきますね」と横田が何度も頭を下げた。

「どうも」

「またね」

と2人も見送った。

 

ーーーー

 

やっと片付いて職人たちはみんな帰った。

大地はベビーカーの中でぐっすり寝ていてその横で緑は絵を描いていた。

小さな緑にとって新しい店はまるでお城の様だった。

素敵

 

 

お父さんは王様みたい
じゃあお母さんはお妃様で

ってことは私はお姫様ね。

少々厚かましいが夢見る少女はこの建物が大のお気に入りだった。

その光景を見ながら愛妻の律子が「修造お疲れ様、今日大変だったわね」と労った。

「律子も疲れただろ?」昼間外れた棚を修理しながら愛妻に返事した。

「平気よ子供達と遊んでただけだったし」

あの女優も帰っちゃったし、何事もなくて良かったわ。

律子はホッとしていた。

「さあ、私達も帰りましょうか」

「うん」

 

 

もうすぐ本当のオープンだ

そして修造は今日のバタバタなんて大した事なかった。

 

 

そう思う日が来る。

 

 

 

おわり

 

桐田とマウンテンの出てくるお話、江川と修造シリーズ 進め!パン王座決定戦!後編はこちら

gloire.biz/all/4129

パン王座決定戦!前編の続きです。 修造はNNテレビのパン王座決定戦で強敵のシェフと戦う事になりましたが。。

 

 

マウンテンが出てくるお話、江川と修造シリーズ 背の高い挑戦者 江川 Flapping to the futureはこちら

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修造と江川の務めるパン屋パンロンドにNNテレビがやって来た!

みんな頑張って!その時修造は、、、

 

藤岡くんが攫われそうになるお話し、パンの職人の修造 江川と修造シリーズAnnoying People はこちら

http://www.gloire.biz/all/5211

修造!藤岡君がおこってるよ?

 

桐田とパン粉が出てくるお話、パン職人の修造 江川と修造シリーズ   dough is alive

テレビに出た修造と江川でしたが、、、

http://gloire.biz/all/5565


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