2022年04月29日(金)

パン職人の修造 江川と修造シリーズ broken knitting 

 

パン職人の修造 江川と修造シリーズ broken knitting

 

 

修造が各ブースを練り歩いていた時

職人選抜選考会2日目は高校生パンコンテストが開催中だった。

その会場の中には前日修造達選手が作った作品がディスプレイされていた。

江川はそれをひとつひとつ丹念に見ていって、そして最後に修造のディスプレイを見てしみじみと言った「うん、どれも凄いけど僕たちのが1番凄いな」

その後ろでは高校生達が各ブースに分かれてパン作りをしていた。

江川はとてもレベルの高い高校生達のパン作りに驚いて大きな目を皿の様にして見ていた。

「あの子達凄ーい」

すると「江川君」とお洒落な女性が声をかけてきた。

「ほんと田所さんも佐々木さんも技術が高いわね。江川君もお疲れ様だったわね」

「あっBBベーグルの田中さん、その節はありがとうございました」

「いえ、良いのよ。あの時は優勝して良かったわね」

「はい、おかげさまで」

「今日はうちのパン教室の生徒さんが出てるから応援に来たの」

 

 

 

店に料理番組にパン教室か、田中さんも手広いな。と思ったその時、父兄の団体が到着したのかその一帯が人でいっぱいになり田中とは距離が空いた。

「またね」と手を振って田中が消えたので江川もその場から立ち去って、朝は一緒に来たのにそれ以降全然会わない修造を探した。

通路を四つ辻ごとにキョロキョロ探していると鷲羽と園部が見えた。そしてその手前にひとりの青年が立っている。

年の頃なら自分ぐらいだろうか。

知り合いかな?話しかけないのかな?

「ねぇ鷲羽君、園部君、修造さん見なかった?」

「ごめんね、見なかったよ」

「自分で探せよ!」

うわ!園部君に比べて鷲羽君の言い方腹立つな。

そう思ってそれ以上近寄らず角を曲がって立ち去った。

江川も色々見て回ったが、コンテストの会場は人でいっぱいだし、どこにも修造はいないし。。

寂しくなって会場の外のベンチに座り、パンフレットで場内の地図や参加店を見出した。

へぇ、去年来たのと同じ感じだけど、懐かしいな。

ここに来て修造さんは世界大会に出る決心をしたんだ。

僕始め世界大会って空手の事だと思ってた。

江川は思い出して照れ笑いした。

 

 

「おい、何を笑ってるんだ」

「あ、大木シェフ。休憩ですか?3日間大変ですね審査とか進行とか」

「そうだな、若い力を育ててパン業界を盛り上げるのが使命みたいなもんだよ。おい、お前もそのうち手伝うんだぞ」

「はい、僕今日何もすることが無くて困ったので手伝った方が良いです」

「今日の夕方は前日準備だな!鷲羽は手強いぞ、それに他の3人もな」

「残りの3人ってどんな人ですか?さっき鷲羽君をじっと見てた人がいたけどその人かな?」

「1人は福岡のSS料理学校のパンコースの沢田茉莉花、1人は関西のT調理師養成学校のパンコース龜井戸孝志、そしてブーランジェリー檜山で働いている木綿彩葉だ」

「きっと技術が高いんでしょうね」

「そうだな、成績の良い若者ばかりだよ。江川、帰ってちょっと休め、夕方の準備をイメトレしとけよ」

「はい」

江川は言われた通りにホテルに戻りまた夕方駐車場に行き、車から自分の資材を運んだ。

ブースの前の空間で

4人が輪になって立っていて江川を見ている。

「遅かったな」

「あ、ごめん鷲羽君」

大木がやって来た。

「では各自挨拶してから前日準備を始める様に」

皆に挨拶してから江川は思った。

 

 

あ、昼間鷲羽君を見てたのはこの人たちじゃ無いんだ。

「鷲羽君、今日知り合いの人が来てたみたいだけど会えた?」

「知らなかったな」

「そうなの?わかった」

 

修造はすでに江川のブースで忘れ物がないか確認に来ていた。

「さ、始めて江川」

「はい。僕緊張して手が震えてきました」

「大丈夫だよ、リラックスして。計量は間違えない様に」

「はい」

選手の与えられたブースは4メートルに区切られていて、その中にミキサー、パイローラー、オーブン、ドゥコンなどが設置されている。

先に始める生地の材料や必要なのものからブースの中に入れて、その他の後でやるものは次々出していく計算だ。

明日は修造があれこれ手前から注意してくれたり必要なものは後ろから用意してくれるからその点は安心だ。

種を作った後、ホッとして「修造さん、明日はよろしくお願いします」と言った。

 

次の日

若手コンテストも早朝から始まった。

皆、緊張の面持ちでスタートした。

鷲羽と江川は隣同士ではなく、間に沢田茉莉花がいたのでお互いの気配は全くわからない。

緊張してなにかの工程を飛ばさない様に気をつけてスケジュール通りに慎重に。

修造は江川の体調が心配だったが、もうこの場においては頑張って貰うしかない。

 

 

江川!お前は個性的な奴だ。その個性とセンスを最大限に生かしてはじけるんだ。

祈るような気持ちで江川の進行を見守りながら修造は横にいた大木に話しかけた。

「大木シェフ、ここまでの期間色々面倒見て下さってありがとうございました。結果はどうあれ俺も江川もいい経験になりました」

「江川がお前の助手も自分のコンテストも両方やると聞いて、正直どちらも疎かになると思っていたが、どうにか乗り越えられそうだな」

「はい、江川は頑張り屋さんだな」

 

鷲羽は元々よくできる奴だったが江川のおかげで益々技術が上がったな」

「はい、ライバルって良いですね」

鷲羽はパンの専門学校に行ってた時、他を押し退けてまで技術の習得に熱心だったので、敵も多かったらしいが、今日は1人で集中して結果を出そうと必死だった。

コンテストに出た全員が粛々とパン作りを進行させていた。

江川の持ち物の中には修造に貰ったカミソリとホルダーがあった。

江川はそれをまるでお守りの様に思い、握りしめて手の震えを抑えるのに役に立った。

そのうち建物が開場になり、チラホラと人が増えて来た。

昼間になると結果発表迄に会場を回って資料集めをする人達で一杯になって来る。

今日の夕方はとうとう審査の結果がわかる。

「流石に気になるな」修造も緊張してきた。

修造は、江川のブースの後ろに周りそろそろパンデコレのものを運び込もうとした。園部も今日は鷲羽の為に色々手伝ってやっていた。

「江川これ置いとくよ」「はい」

鷲羽のパンも揃ってきた。

 

 

いい出来だ。

鷲羽は勝利を意識しだした。

その時、テーブルがバターンと倒れた様な音がした。

「なんだ」

自分のブースの後で大きな音がしたので胸騒ぎがした鷲羽はすぐに覗きに行った時、園部が急に走り出した。

「あっ!園部どこ行くの!」

走り去る園部の背中を目で追ったがそれどころでは無い!鷲羽のパンデコレの部品が乗ったテーブルが倒れている。

「うわーっ」鷲羽の叫び声が聞こえたので修造が駆けつけた。

鷲羽は膝をついて箱の中を見ながら「園部が」と修造に言った。

中を覗くとマクラメ編みが割れている。

修造は「諦めるな!まだ時間はある!修復するんだ」と言って走り出した。

 

 

園部に追いつかなければ。

修造は角を曲がって真っ直ぐ館内を走った。

「園部!待て!」

 

修造が追いかけて走っている頃、鷲羽は割れたマクラメ編みを震える手で繋げて愕然としていた。

 

園部

 

お前も俺を本当は嫌っていたのか。

あまり周りからよく思われてない俺に普通に接してくれてたのに。

俺は勝手に親友と思ってたのに。

ホルツの入社式で横にいた時からずっと一緒に行動していて、それが当たり前と思っていたんだ。

「俺が人でなしだからか」

鷲羽の瞳から涙が滲んでいたが、修造が修復するんだと言っていた言葉を頼りに動こうとはする。

鷲羽の心は割れたパンのかけらの様に砕けそうだった。

 


 

修造は長いリーチで走る園部の背中に距離を詰めて行った。

しかし何かおかしい。

園部が見えてきた、その前に誰か走っている。

角を曲がって真っ直ぐ行くと出口だ!

 

「おや」

興善フーズにいた背の高い男は、走っている3人の男に随分先から気がついた。

 

 

ブースの中から見ていると先頭を走る男が近づいてきたので、それ目掛けて2段構えの台車の下を「ポン」と蹴った。

「うわ!」

先頭の男が台車に片足をぶつけて勢いよく転けた。

「あ、ごめんね」と言って素早く隠れて見ていると、園部と修造が追いついた。

「修造さんこいつがテーブルを倒したのを見ました」

「なぜだ!何故やった?」

騒ぎを避け、修造と園部は一般の客から見えないパネルの後ろに男を連れて行った。

よく見ると園部と同じ年頃だ。その青年は修造の掴んだ腕を勢いよく振りほどいた。

「あいつが悪いんだ。専門学校にいた時、ずっと俺を見下していた。昨日見かけた時目があったのにあいつ全然俺に気がつかないで無視した。忘れてるんだと思ってすごく腹が立ったんだよ。俺があいつに前向きな人でなしってあだ名をつけてやったんだ」

「確かにあいつは無神経なところがある。だがそれと努力して作り上げたものを一緒にするな」

 

 

修造はその男の代わりに後ろのパネルを思い切り正拳突きをして「努力の結晶に敬意を払わない者はこの俺が許さない!」と一喝した。

そのあと2人は男を警備員のおじさんに引き渡した。

 

鷲羽の所に戻る道すがら園部は珍しく口を開いた「みんなは英明の事を悪く言うし、英明は口が悪いけど根性は腐っていない。あいつはいつも熱い奴です。それは俺が保証します」

「だな、園部。あいつは良い友達を持ったよ」

 

2人が立ち去ったあと、背の高い男は修造が穴を開けたパネルを「あ〜あ」と言って見ていると、興善フーズの営業が通りかかった。

「ねえ、ごめんねこれ、割っちゃったんだ」

「え、これシェフが壊しちゃったんですか?どうやったらこんな風になるんです?」と逆に聞かれて困ったが、笑ってごまかして上にポスターを貼って隠して貰った。

「これで大丈夫です。その代わりと言っちゃなんですが~、ねえ、シェフ。今度うちの講習会に出て下さいよ」

「これが終わったらブラジルに行くから無理かなあ。だからまた今度ね」

背の高い男はそう言いながら「え~」と追いかける興善フーズの営業と戻って行った。

 

その頃鷲羽は震える手で他の選手に随分遅れてパンデコレの仕上げをしていた。

一部修復は無理だったがなんとかつなぎ合わせ、大木が色々アドバイスしながら仕上げることが出来たが、完成予想とは格段に劣る。

 

 

力なく他のパンの真ん中に置いてあと片付けをしていると、園部と修造が戻ってきた。

「ごめん、俺が見てたのにこんな事になっちゃって」園部は残念そうに謝った.

「園部、疑ってごめん。園部がやったんじゃなくて本当に良かった」

鷲羽の瞳から改めて安堵の涙が溢れた。

「園部はテーブルを倒した奴を捕まえようと走って行ったんだよ」修造が説明した「お前の事を恨んでる様だったよ。あいつが鷲羽の事を前向きな人でなしって呼んだんだな」

そう言われたが、本当に全然覚えていない。俺って本当に困った奴だ。割れたかけらを見て、改めてこんな性格が引き起こした事だと思う。

 

江川の作品を見た。

 

 

案外カッコいい。

蜂の巣と菩提樹の花をモチーフにしたパンデコレ、夢に出て来た草原のサワードウ、親方の教えてくれた「ぶちかましスペシャル」とか言う編み込みパンなど工夫が凝らしてある。

「あいつの勝ちだな」そう思った。

 

全ての選手が自分のパン作りについて審査員のシェフに説明をしていったが、鷲羽の様子を見てみんな気の毒でどんな顔をしていいか分からない。

 

さて、とうとう選抜選考会の優勝者が発表される場になった。3日分の優勝者が今日発表になる。

こういう時って本当に誰が選ばれるかわからない。

鷲羽は若手コンテストの選手の中に混じって立っていた。

大木がマイクを持って司会進行の元

各選手のパンが並べられている前に立った世界大会の出場者から発表される。

 

憔悴してぼんやりと立って見ていると、修造の名前が呼ばれる。

修造は段の上に立ち、前回の優勝者からトロフィーを受け取った。

すごく眩しくてキラキラして見える。やっぱカッコいいな修造さん。

 

 

江川が両手を上げてやったーと叫んで人一倍拍手している。

大勢の人が修造の写真を撮っていた。

その向こうにそれを見ている佐々木が自分と同じ様な表情で立っている。

俺分かりますよ。あなたの気持ち。

俺、絶対優勝するはずだったんですよ。

 

その次は高校生パン教室の優勝者が選ばられた。凄い盛り上がって大騒ぎになった。父兄が集まってきて人でいっぱいだ。

その最中、若手コンテストの結果発表が始まる。

会場はザワザワしだした。

江川の名前が呼ばれて、鳥井シェフからトロフィーを受け取っている。

「おめでとう」

「ありがとうございます」

そんな事を言ってるんだろう。

次に鷲羽の名前が呼ばれた。

審査員特別賞

鷲羽はうやうやしく賞状と盾を受け取り頭を深々と下げた。

そして後ろに立って全員を見ていた。

少し涙が出てきた。

疲れてるだけだ。

鷲羽は少し離れたところに座り込んだ時、横に立った人影を見た。

「大木シェフ」

「俺、自分の性格が原因で色々とダメになってしまいました。練習を最後まで見てくれたのにすみません」

「おい、がっかりするな」

大木は座り込んだ鷲羽の二の腕を大きな手で掴んで起き上がらせた。

「お前はまだ若いんだ。一度負けたぐらいでなんだ。まだまだこれからチャンスはたんまりある。園部と切磋琢磨して修造の跡を追え。フランスに行きたいんなら先に修行に行け、帰ってきたらまたうちで練習しろ。俺が練習を見てやる」

「えっ」

「俺が目をかけてるのを忘れるな」

鷲羽はパンロンドの親方が言ったことを思い出した。

いつか大木シェフと気心が知れる様になるといいな。

今がその瞬間なんだろうか。

 

 

鷲羽の瞳から大粒の涙が溢れた。

「ありがとうございます」

「俺、フランスに行ってきます」

「そうだ!フランスの空気をたっぷり吸って来い!ルーアンに国立製菓製パン学校があって、講師の中にはM.O.F(フランス最優秀職人)のタイトルを持つ先生もいてるんだ。短期コースもあれば2年間学べるコースもある。佐久間に色々面倒見る様に頼んでやる。パスポートを用意しとけよ」

「はい」

鷲羽は天井の無数のライトを見上げて言った。

「下を向くのは俺らしくない」

 

おわり

 

broken knitting 壊れた編み目

INBP(Institut National de la Boulangerie pâtisserie)フランス国立製パン製菓学校

M.O.F(Meilleur Ouvrier de France)フランス最優秀職人


 

 


2022年04月03日(日)

パン職人の修造 江川と修造シリーズ Mountain View

 

パン職人の修造 江川と修造シリーズ Mountain View

 

※このお話はフイクションです。実在する人物、団体とは何ら関係ありません。

 

 

Mountain View

 

「修造、用意はできたの?」選考会の前々日親方が聞いて来た。

「はい、大体は。実は荷物は送ろうと思ってましたが意外と多くて、俺と江川、鷲羽と園部の二手に分かれて車で行くことにしました。これから江川とホルツに行って自分で持っていく荷物を再点検して準備して出発します」

「そうか、大荷物だな。俺達応援に行けないけど頑張ってくれよな。心の中でずっと応援してるからな」

「はい、勝手ばかりさせてもらってすみません。俺、親方の好意に必ず応えてみせます」

「修造!」

「親方!」

2人は親指を上にして掌をガシッと合わせた。

 

 

なんだか少年漫画の様なシーンを見て江川の大きな瞳がウルウルしていた。

「修造さん、江川さん、俺も応援してますね」藤岡も2人に握手を求めて来た。

「俺もっす!」杉本も勢いよく言ってきた。

「ありがとう」

修造の瞳にも水分が滲み出る。

「おい、江川」

「はい親方」

「皆、江川が修造の助手と自分のコンテストの2つに挑戦する事を心配してるよ。今となっちゃ後には引けねぇ!精一杯やってこい」

はい、ぼく頑張ります」

「よし!」

親方は江川の二の腕を挟んでヒョイと持ち上げトン!と降ろした。

 


 

関西への車の中で

東名自動車道に入って車を走らせながら

「親方って僕のこと子供みたいに扱いますよね」とこぼした。

「可愛いって思ってるんだろ。親方なりの愛情表現だよ」

「そうなんですかねぇ?修造さん、2時間毎に交代だから休んでて下さいね。途中パーキングで休憩しますね」

「はいよ」というが早いか修造は目を瞑り、だんだん寝息を立て出した。どこででも眠れる人は羨ましいと思いながら江川は修造のイビキを聞いていた。

大切なものを乗せてるのだから、安全運転を心がけながら江川は修造のコンテストと自分のコンテスト両方のタイムスケジュールを思い出していた。

早朝6時から始まり、仕込み、一次発酵、分割、ベンチタイム、成形、二次発酵、焼成、陳列の全ての工程を生地ごとに行うのでずらして上手くできるようによくよく考えてやらないといけない。中にはクロワッサンの生地にバターを挟むロールインとか、タルティーヌに具をのせるなどの工程もある。

その後はパンデコレの組み立てだ。

落ち着いてやる、例えミスしてもそんな事ありませんと言う顔をするかも知れない。

「とにかく修造さんの足を引っ張らない事だ」江川は修造の寝顔をチラッと見て1人宣言した。

 

 

そうこうしてるうちに江川は左の道に逸れて、車は山々に囲まれた東名高速道路 静岡県 EXPASA足柄に着いた。

「修造さん、休憩しましょう」

「んあ?よく寝たな」

「富士山だ」

「きれいだな」

名物の桜海老としらすの乗ったわっぱめしをフードコートに持って行って食べた後、富士ミルクランドのカップ入りのジェラートを買って外のベンチに座る。

2人にとって久しぶりにのんびりした瞬間だった。

天気はよく、駐車場と雑木林の向こうに富士山が綺麗に見える。

「僕、神奈川より西に来たの初めてです」

「江川、日本の山って言うとまず富士山を思い浮かべるだろ?」

「はい」

九州の真ん中にでかい火山があってその周りを外輪山ってものが取り囲んでるんだ。その火山と外輪山の間には普通に鉄道や国道が走っていて町があったり畑や田園があって人々が暮らしてる。で、それを取り囲む外輪山の上を車で一周してるとあまりのデカさに自分は山の上じゃなくて普通の地面を走ってると錯覚する程なんだ。時々崖の上から下が見えて、こんな高い所を走ってたのかって気がつく」

「えーすごいスケール。富士山とはまた違った自然の造った形なんですね」

「俺の実家はその外輪山のまた遥か遠くの山の上なんだ」

「へぇー」

「俺は大会が終わったらそこで俺のベッカライを作ろうと思う」

「えっ、じゃ僕もパンロンドを辞めてそこで働きますね」

「えっ?」

「えっ?」

この話はこの場では終わったが

修造は心の中で

そうか

と思っていた。

 

 

その時

遠くからおーいと声がする。

「鷲羽と園部の2人もここで休憩をしてたんだ」

2人は休憩が終わったのか車に乗り込もうとしてたところだった。

手を振っている2人はなんだか青春ぽくて楽しそうだった。

「あの2人は仲が良いんだな」

「園部君ってよく鷲羽君と一緒にいてますね。僕なら無理だな」

「相性ってものもあるんじゃない?ずっといても苦にならない相手とか」

「それだと僕と修造さんもですよね」

「だな」

空は徐々にだが色が変わりはじめ、富士山を赤く染め始めた。

「さ、行こうか江川。俺が運転するよ」

「はい」


 

関西に夜着いた4人は会場から電車で2駅程行った安い中華屋で合流した。

流行りの店らしく人でぎゅうぎゅうだった。

皆オススメの満腹セットを頼んで一息ついた。

好きなスープが選べるラーメンに半チャーハン、小さな卵焼きと唐揚げ2つ、酢豚が少しずつ付いている。

「明日午前中材料の買い忘れがないかチェックして、搬入と前日準備したら場内を探検しよう。会場の中は関係者や業者で一杯だろうな。夕方は前日準備が始まるから抜かりない様に」

それを聞いて江川は思い出した。

「僕、パン王座の時の搬入で失敗してました。わたあめの機械がオブジェの木の高いところに引っかかっていたのに気が付かなくて下ばかり探していて、背の高いBBベーグルの人に見つけて貰ったんです」

「あの時は焦ったけど、相手のシェフもトラブルがあったみたいだし、やってみないと何が起こるかわからないもんな」

鷲羽はチャーハンをモグモグ食べながら自信満々で「俺は江川と違って大丈夫です」と言った。

「何その自信!信じられない」と江川は頭にきた様だったが園部の表情は普段からあまり動かないのでよくわからない。

宿泊先は会場の近くのビジネスホテルで、狭い部屋の窓から遠くに大阪湾が見えた。

海は黒く湾岸を照らす灯りがどこまでも続いている。

 

次の日

修造達は会場に車を付けて荷物を運び込んだ。駐車場は搬入の車でごった返していて殆どが機械や什器備品を積んだトラックだった。

自分達が使うブースを教えてもらい荷物を置いていると、大木がやってきて「今から選考会全体の挨拶があるから」と皆に声を掛けて集めて行った。

会を牛耳るメンバーは皆とてもキャリアの豊富な凄腕のシェフばかりでそれを見ていて修造は興奮してきた。「凄い」そして心の中であのシェフはあの店の誰々とか一人一人見ていった

大木の横には鳥井がいてその横の佐久間に小声で聞いた「なあ、あいつは?」「あいつはここじゃ無くて興善フーズに頼まれて3日間デモンストレーションのヘルプだってさ」「そうなんだ」「明日こっそり見に来るんじゃない?」

その時、関係者がゾロゾロそろって輪になってきたので大木が「では順番に紹介するので呼ばれた方は手をあげて下さい」と言って関係者、選手の順に名前を読み上げた。

修造の向かいには北麦パンの佐々木和馬が立ってこちらを見ている

修造もそれに気がついて見返した。

別に睨んでるわけではないが相手が何かしらの感情を向けてくるのに気がつかない事はない。

他にもじっとこちらをみてる者が2人。

1人はブーランジェリー秋山の萱島大吾と言われて手を挙げた。そしてもう1人はパン工房エクラットの寺阪明穂と言われて手を挙げた。

一方の江川の対戦相手はコンテストが明後日ということもあって鷲羽以外まだ揃っていなかった。

今日与えられた準備の時間は1時間。

種の状態も良いので長時間発酵の生地を仕込み明日の朝に備える。

そのあと会場を練り歩いてあのブースは包材屋さん、あのブースは機械屋さんとかひとつひとつ見ていったがどこも明日の開会までにセッティングを終わらせなければならず目が血走っている。

次の朝 修造は綺麗に髭を沿った。江川は髭の無い修造の顔を不思議そうに見ていた。

「とうとう当日になったね。悔いのないように今までの練習の成果を、全力を尽くして出そう」試合の度、空手の師範に言われていた言葉だった。

修造は幼い頃川で溺れていた所を師範に助けて貰って以来、父の様に慕い道場に通い詰めた。

試合には何度も出て、途中からはよくトロフィーを手にした。試合で勝ってもけして動じず相手に敬意を払い己を律する。そんな風に育てられた。

早朝6時

選考会が始まった。修造は空手の時の癖で心の中で「試合」と呼んでしまう。それに実は親方や大木の事を「師範」と呼びかけた事が何度もあった。

集中力を身につけて、より精進する。これが今迄の、そしてこれからの修造の生きていく上での理念であった。

どのみち隣のブースはよく見えないし、気にしても仕方ない。やはりこれは己れとの闘いなのだ。

粛々と素早く己れの最大の力を出す。

江川は修造が欲しいと思うものを用意して次の段階を準備していく

人々からは、静かに進行していくパン作りを見ているように感じるかも知れない。

だが実は工程が幾つも編み込まれていて網目のひとつも狂わせない様に2人で動いていた。

親方に教わったチームワークと優しさ、大木に教わったバゲット、那須田に教わったクロワッサンとヴィエノワズリー、佐久間との戦いで色々考えたタルティーヌ、妻律子と考えたパンデコレの原案。その全てを編み込ませて形にしていった。

旋盤の仕掛けに花につけた「カギ」が上手く合わさりそれを水飴で取れない様にしていく、修造はまたうまくいった瞬間したり顔をした。

修造のパンデコレは編み込みの旋盤に花を施した紫が主体のもので「和」と言うのにふさわしいものだった。

 

 

審査員のシェフ達は一糸乱れぬ網目と美しく仕上げた繊細な花々を見て「ホゥ」と言った。

隣の北麦パンの佐々木は修造がパンデコレに取り掛かってから追いかける様に始めた。

パン王座選手権で負けて、北麦パンに戻ってから真剣にパン作りについて悩んだ。そんな時知り合った「先生」に半年間教わった事を思い浮かべながら次々と仕上げていった。

 

 

北の海の荒波に揉まれて大波が来た瞬間それを乗り越えようとするボート、その瞬間を切り取って表現した。

波のしぶきを立体的に作るのに苦労したが、迫力ある仕上げを心がけていた。

ただただ一生懸命に。損得など考えず。わき目もふらず。

 

その隣のブーランジェリー秋山の萱島大吾は故郷の岡山県英田郡西粟倉村影石にある水力発電に思いを馳せ、水の勢いを表現していた。

双方錐(そうほうすい)の形で水のしぶきを作り、高くから水が落ちてくる感じを出した。

 

 

一番左のブースのパン工房エクラの寺阪明穂は、女性らしい感性で雨の降る日、木の上で雨宿りする女の人を表現した。ありきたりの様だがパンで細かく木の枝が作られており、なかなかの力作だ。

飾られた傘も可愛らしい。

 

 

この様に皆個性的で似たものはなく、それ故審査は難しかった。

修造が最後の仕上げをして、江川と2人で片付けに入った。勿論これも審査の対象だ。散らかっていてはなんだがだらしない仕事しかしない様に思える。

さて、時間になり選考会はタイムアップになった。

重なる工程を全て終えて、江川は汗だくでクタクタに疲れた様だった。

鷲羽達は選考会の様子を逐一観察して写真を撮ったりメモしたりと、とても勉強になった。

それを見ていない分不利になるが実際に現場での工程を体験した江川は格段に実力が上がった。

「江川ありがとうな、感謝してるよ。疲れたろ?今日はゆっくり休めよ」

「大丈夫ですよ修造さん、今日の結果発表って3日目にならないと分からないんでしょ?待ち遠しいですね。僕達優勝かなあ」

「さあどうかな」

「修造さん、あまり気にならないんですか?」

「そりゃ気になるよ。顔に出さないだけだよ」

 

夜、疲れ切って早々と寝た江川の横で修造は身重の律子に電話していた「今日精一杯やったよ。こんな時にごめんね家を空けて。帰ったら埋め合わせするよ。うん、3日目の結果発表の後すぐ帰るからね」

そしてその後、窓際に立ち、江川の寝顔を見ながら「今後の事」についてしばらく考えていた。

「いや、今は世界大会が先か」そう言うが早いか修造も自分のベッドに入り寝息を立て出した。

 


 

次の日

大会の中日、修造は色んな企業のブースを訪れた。

性能の良い安い機械なんてないかなあ」

多くの機械がその職種専用のもので、パン屋の工場の中はその専用の機械が多い。

規模の大小は違えどミキサー、パイローラー、オーブン、ホイロ、ドウコンは必須。余裕があればモルダーやデバイダーも使いたい。

それらが何十万から何百万とする。

修造は金の話は嫌いだが、こんな時は綿密に計画を立てないといけない。丁寧に見ていった。

「あ、田所シェフ、昨日はお疲れ様でした。優勝間違いなしですね」歩いていると基嶋機械の営業が声をかけてきた。本気で優勝すると思ってるかどうかは別として、もし優勝したら営業に精出す気満々だ。しかしこんな何気ない出会いでも長いお付き合いになるかも知れない。

私基嶋の後藤孝志と申します」

「あ、どうも」

後藤は修造の背中を押すようにしてブースの中に入れ、最新鋭のオーブンを見せた。なんでも高い蓄熱性を持つ分厚い石板で、蒸気が高温できめ細かいとかで、温度の上げ下げも早く、細かく設定できるとかで。。

「へぇー」っと言いながらピッカピカのオーブンをあちこち見ている修造を観察しながら後藤は『まあ、今は若いし金は無いだろうから開店の時に中古を紹介しておいてその後、修理、新品購入に持っていけばいいや。何せ将来有望だもんな』とそろばんを弾いていた。

「あらゆる事に対応して、いつでも相談に乗りますからこの名刺の番号にご連絡下さいね」

「どうも」

次に歩いていると今度はドゥコンの機械屋さんの営業マンと目があった。「こんにちはシェフ!」とすぐさま修造を中に引き入れた。

「今日は何をお探しですか?」「はい、色んな機械を見ておきたいので」

ドゥとは生地の事でそれをコンディショニングすると言う意味でドゥコンデショナーという。

タッチパネルで細かく温度や時間の予約ができて上段と下段を別々に管理できるんですよ」

また「へぇー」と言いながら最新のドウコンの中を隅々まで見た。やはり新品は良い。

そして次にミキサーを見に行った。

色んな機械屋があり迷う。「とりあえず全部見ていくか」回ってるうちに営業マンから貰った名刺はトランプの様になってきてどれが誰だったか分からない。カバンはカタログでパンパンだ。

歩いているとパンやケーキの本が売られている所に出くわす。本屋さんも来てるのか。

なんだか興味のありそうな本ばかりで目移りしているとその中に以前パンロンドに送り主不明で届いたバゲットの本と同じものがあった。

結局誰があの本を送ってきたのかは分からないけど勉強になったな

その本にはメモが挟んでありこう書かれていた。

『必ず一番良いポイントがやってくる。その時をじっと待つ事だ』

あの時のメモ、俺はずっと心掛けてパン作りをしている。

誰が送ってくれたんだろう。

「お、修造」

「あ、鳥井シェフどうも」

鳥井はパンパンに膨らんだ鞄の中を覗いて「随分回ったな」と笑った。

「はい」

 

 

「まだ回ってないところはあるの?」

「そうですね、食材関係はこれからです」

「そうか、俺が知り合いを紹介してやるよ」

「去年もこうして一緒に来ましたね」

「そうだな、ああいう細かい事で運命ってものは決まっていくのかも知れん」

何軒か回った後、鳥井は興善フーズのブースに入っていった。

あれ、あいついないのか

鳥井は誰かを探してる様だった。

「修造、ここは大手の小麦粉の卸なんかをやってるんだ。営業の人を紹介するよ」

「ありがとうございます」

「国産のライ麦について知りたいんですが」

「はい、有機栽培の道産のライ麦粉を扱っています。全粒粉、粗挽き、中挽き、細挽きとあります」「これ使ってみたいんですが試供品はありますか?」

修造のカバンはもっとパンパンになった。

 

つづく


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