2021年12月22日(水)

パン職人の修造 江川と修造シリーズ  ジャストクリスマス


2021年12月01日(水)

パン職人の修造 江川と修造シリーズ お父さんはパン職人

 

パン職人の修造 江川と修造シリーズ お父さんはパン職人

 

今日は修造の二27歳の誕生日

家族3人で仲良く夕飯の準備中。

修造はじゃがいもとソーセージにカレー粉を準備して「今日はカリーヴルストだ」と自分の好物を作ろうとしていた。

右のコンロでフライドポテトを揚げて、左のコンロでソーセージを茹でていた。

ドイツでは夕食はカルテスエッセン(冷たい食事)が定番だが、我が家ではあったかい料理も欲しい。

修造が立っているキッチンの後ろには4人掛けの椅子とテーブルがあり、そこでパンとサラダとハムとチーズを皿に盛りつけながら七歳になった緑(みどり)が隣にいる律子に聞いてきた。

「ねえ、お母さん」

「なあに?緑」

「よりってなあに?」

「より?なになにより大きいとかのより?」

「ううん」緑は首をふりながら言いにくそうに言った。

「あのね」

「うん」

「昨日紗南ちゃんのうちに洋子ちゃんと遊びに行ったらね、紗南ちゃんママがね、緑ちゃんパパは家出してたけど最近帰ってきて奥さんとよりが戻ったのねって一緒に来てた洋子ちゃんママに言ってたの」

一瞬、緑ちゃんパパって誰の事かわからなかった。

緑ちゃん

パパ

俺?

「ええっ!」

丁度フライドポテトを揚げていた修造は、驚いて網付きバットを持った自分の指に熱々のポテトを置いた。「うわっち!」

あわてて冷水で指を冷やしながら律子を見た。

律子は修造にすまなさそうに「ずっとそんな噂があるのよ。保育園のお友達のお母さんは今ではみんなわかってるんだけど、近所でもお父さんは出て行ったのねって言われてたし、小学生になってからまたその噂が再燃したみたい」

なんだか立つ瀬がなくて立ってる床が抜けそうな錯覚に陥った。

「律子ごめん」と謝るしかない。

「紗南ちゃんと洋子ちゃんも最近お友達になったから、何も知らなくて噂を信じてるのよ。私から言っておくわね」と言って早速電話の受話器を手に取った。

律子は腹を立てている様に見えた、その腹立ちは[なんとかママ]にではなく簡単に噂を信じてそれをまた尾ひれはひれを付けて広める不特定多数の人達に対する漠然としたものの様に思えた。

緑のお友達のお母さんに1人ずつ電話して丁寧に説明をした「ええ、そうなんですよ。うちの主人はマイスターになる為にドイツに修行に行ってたんですよ。オホホホ。まあ、別居といえば別居ですけれども。ええ、それではまた」

オホホホという言い方にわかったか?という裏側の言葉が見えてちょっと怖い。

そして緑に「よりを戻すってね、一度離れたけど元通りになったって意味よ」と律子は説明を続けた。

「お父さんはね、ドイツにパンの勉強をしに行っていたのよ。だからほら!」と言って壁にかけてあるマイスターブリーフを見せた。

「これはね、お父さんがドイツに行ってパンの勉強をして合格したっていう証明書なのよ」

明らかに他のポスターとは違う、価値のあるそれは緑にもとても大切なものだとわかっていた。

「それにね、お父さんとお母さんはとっても仲良しだからね」

「知ってる」

緑は修造が帰ってからというもの毎日ベタベタ仲良しな両親を見ていて他のお家もこうなのかしらと思っていたが、どうやらそうではない様だと最近はわかってきた。

「洋子ちゃんのおうちはお父さんとお母さんが、もう1年ぐらい話してないんだって、一緒のおうちの中にいるのに」

「へぇ〜」

そして緑は修造に「今度の休みの日に学校から帰ったら一緒に空手に行って。田中師範がたまにはおいでって」と言ってきた。

「勿論だよ緑!夕方行こう!」

修造はやっとこの話が終わったのでホッとした。

 

田中師範とは修造が住んでるアパートの近くの公園で知り合った空手の師範で、小学校や神社でも子供達に空手を教えている。半年ほど緑と通っていたが、修造は最近休みがちだった。

「次の休みといえばホルツに行く予定なので帰ったらすぐ行こう」

「さあ、2人とも座って!お父さんのお誕生日のお祝いをしましょう」

「はーい」

 

 


 

修造は〇〇ちゃんママ達の事をベッカライホルツに行く電車の中で江川に話した。

江川は嬉しそうに「緑ちゃんパパって呼ばれてるんですか?」と言った。

 

 

自分の想像もしない所で修造が違った呼び方をされているのが不思議で新鮮だったからだ。

「そう」

修造もそれが不思議だったが、考えてみれば誰がどの親かわかりやすい呼び名だ。苗字も名前も知らなくても子供の名前さえ判っていれば使える。

 

「さあ、今日もホルツで練習だ!」

修造はホルツに着く手前で張り切って言った。

「はい。僕この間、鷲羽君と勝負した時に6本まで編み込みパンを作ったんです。だけど思ってたより早く鷲羽君が俺の負けだって言ったので親方に習った[ぶちかましスペシャル]は使わなかったんです」

ぶちかましスペシャルってすごい名前だなあ。修造はフフフと笑った。

「一体どんな編み込みパンなんだろう」

「いつか見てもらいますね、緑ちゃんパパ」

「江川まで!やめろよ、、」修造は顔が赤らんだ。

「冗談ですよ、修造さん」

江川が楽しそうに笑いながらホルツに着くとみんなが挨拶してくれた。

鷲羽には自分から「鷲羽君おはよう」と挨拶した。

鷲羽は江川の方を見て照れ臭そうに頭をペコっと下げた。

江川に対して勝手に勝負を挑み、しかも負けた事で大木に注意を受けて、今日は大人しくしておく様に言われていた。

さて、別室で今日も第一審査に送るパンの練習が始まった。

今日は提出するパンの練習を通しでやってみる。

大木は『修造はちょっとしたアドバイスで大丈夫そうだが、江川は細かく見ておかないといけないな』と思っていた。その為捏ね上げから細かく教えていた。

大木がついていて、指導している時は良いが、1人で成形させてみると焼いた時に生地の裏がはじけて割れる。

 

「少し下火が弱かったな」

「僕まだそこがちょっとわからなくて」

「上手くやろうとして逆に締めすぎてるんだよ」大木もそう言っていた。

「はい」

「発酵も少し若めに焼いてしまったな」

「はい」

江川はまだタイミングがわからなくて悩んでいた。

こんなとこ鷲羽君に見られたらいやだなと思ってドアの外を見たが、職人たちは大木に仕事に集中するように言われていたので誰もいなかった。

ほっとしている江川に大木が釘を刺した。

「江川」

「はい」

「分かってると思うが一次審査は誰でも応募できる」

「はい」

「勿論、鷲羽や園部もだ」

「え」

「つまり沢山の職人が応募するってことだ。一回一回の練習を大切にな」

「はい!」

 


 

帰りの電車で不安そうな江川に声をかけた「パンロンドでも生地の発酵と焼く時のタイミングを学ぶ為に色んな人の仕事を見ていくといいよ。明日仕込みはやるから成形に参加させて貰って」

「はい、僕今日初めて沢山応募者がいるんだって気が付きました。もっともっと練習します」

「ライバルは多そうだね」

俺ももっと勉強しないと。自分も同じ立場なんだ。

一次審査は全国から技術の高いパン職人が大勢応募してくるだろう、それに選ばれるようにならないと。

修造と江川はそれぞれ決意を新たにしていた。

 


 

「おかえりなさーい、お父さん空手に行こう」アパートに帰ると緑が待ち構えていた。

「うん」

夕方、東南小学校の講堂でやってる田中師範の空手道場に行き道着に袖を通した。

「道着はいいな。気持ちがしゃっきりする」

修造は故郷の空手道場で黒帯だったが、今の所では白帯からやり直し、古武術も習っていて今は五級になり帯の色は紺色だ。

「師範ご無沙汰しています」

「よくきたね。緑ちゃんとヌンチャクを練習して」

修造はヌンチャク「一之型」を練習中だがそれも久しぶりだ。

習いはじめは後ろ手で掴むのも先がブレて上手く掴めない。

右で後ろ手に回したあとまた左手で掴んで後ろ手にまわすのも早くできるようになってきた所だ。

脇にヌンチャクの先を挟み素早く見えない相手を攻撃して元に戻す。回す方が掴む手より早くて指先に当たった。

「イテッ」指をさすりながらその動作を何度も繰り返し練習した。

形の動きも何度もやってるうちにスムーズになってくる。

「おっ!段々できてきた?緑」

「お父さん上手くなったね、次はこうよ」

緑は右手で掴んだヌンチャクの先を後ろに回し、左手で掴んでまた後ろに回して右手で掴んだ。

 

 

「これを繰り返して」

「はい」

修造は丁寧に小さなヌンチャクの先生に返事して何度かやってみた。ピュンピュンと回してるうちに段々とコツを掴んでくる。

「緑先生どうですか?」

すると緑は結構上手くシュッシュッと回して見せた。

「敵わないなあ」

 

鏡を見ながらやるといいな。

何度もやってると突然手がヌンチャクになじんでくる。

おっ!俺、何かコツを掴んだな。

感覚だな。あとは練習だ。

自転車を漕ぐのもヌンチャクの練習もパン作りも一度自分のものにしたらずっとできるんだ。

コツを掴む。行き過ぎは良くない、加減を知る。そして何度も練習だ。

そうだこの話を江川にしてやろう。今日は来て良かったな~

 


 

仕事中、修造が江川に昨日の力加減の話をしてバゲットの成形を見ていた。

「生地が荒れたり絞め過ぎないように力加減を調節するんだよ」

「はい」

その時配達の郵便局員が来てパンロンドの奥さんが受け取った。

「田所修造様って書いてあるよ。はい」と言って修造に茶色い封筒に入った分厚いものを渡した。

「なんだろう」

開けるとフランスパンの製法が書かれている洋書の翻訳本が入っていた。

送り主の名前も住所も書いていない。

「親方、本を送ってもらいましたか?」と聞いた。

「え?本?なんの事?」

「親方じゃなかったんですね、本が送られて来たんですが名前も何も書いてなかったんです」

「へぇ〜それは気になるなあ。他の人かもね」

「そうですね」

大木に電話した「あの、本を送って頂いてありがとうございます」

「本?どんな?送ってないけどなあ」

「え?そうなんですか?失礼しました」

修造は鳥井に電話した「あの〜本を送って頂きましたか?」

「いいや、私ではないよ」

「わかりましたすみません」

それから会う人会う人に聞いてみたが皆知らないという。

「誰なのかなあ。江川?」と聞いた。

「僕じゃありません」

「うーんわからないなあ」

俺宛なんだから読めって事なんだ。

ひとまず誰からかとか忘れて読もう。

本の内容はフランスの高名なシェフがパンの歴史や製法、作り手の心構えについて細かく書いてあるものだった。

発酵のところにメモが挟んであった。

『必ず一番良いポイントがやってくる。 その時をじっと待つ事だ』

この字、誰の字だろう。このメモの文字、、、

これって丁度江川の悩んでいるところだけど関係あるんだろうか?

本には詳しい製法が段階を踏んで細かく書いてあった。

新しい発見があり、読むたびにそうか。そうか。と納得していた。

そして何時間も本を読み耽った。

ソファに座って真剣な顔をしている修造。

緑はそれを台所のテーブルから見ながら作文を書いていた。

この作文は今度の授業参観でみんなが読む予定だった。

テーマは自分の家族について。

原稿用紙に2Bの鉛筆で書いていて、緑は思い出した事があった。

お父さんがドイツからおうちに帰ってきた時

ドゲザ

してるのを見たわ

大人のドゲザ

「律子、緑すまなかった」って

その時お母さんはお父さんの背中をさすって泣いてた。

 

 

お母さんは怒ってなかった。

お母さんはお父さんを大好きなんだわ。

それに

お父さんにとってパンを作るのはとても大切な事だったんだわ。

私はそんなお父さんとお母さんが大好き。

緑は難しいところは律子に見てもらいながら作文を一生懸命書き出した。

 

 

「修造、今度の火曜日は休みなんでしょう?」

律子が聞いてきた。

「うん」

年末でホルツもパンロンドも忙しくなるから今年はもう練習は無い。

「じゃあ緑の授業参観に行きましょうよ」

「うん」

楽しみだけど、なんとかママが沢山いるので修造はちょっと怖かった。

もう誤解は解けたのかなあ。

 


 

火曜日、緑は学校に行く時

「お父さん」

「なに?」

「綺麗にしてきてね」緑は顎のあたりをトントンと触った。

緑に厳しく言われてすぐにカットハウスに行き「とりあえずすっきりさせて下さい」と言って髪を短くして髭を剃って貰った。

 


 

学校に着いて律子と一緒に緑の教室一年二組の後ろの戸から入る。

平日だからかお母さんが多い。

〇〇ちゃんママ達は修造をチラチラ見ていた。紗南ちゃんママと洋子ちゃんママもこっちを見ている。

うっ、ただ見てるだけかもしれないのに緊張するな。

修造は誰とも目が合わないように真っ直ぐ前を向いていた。

 

 

始業のチャイムがなって先生が入ってきた。

先生が挨拶して「今日は生徒の皆さんに順番に作文を読んでもらいます」と言って順番に生徒たちに作文を読ませた。

「次は田所さーん」緑が立ち上がって作文を読み出した、

それはこんなタイトルだった。

【お父さんはマイスター】

「私のお父さんはパンロンドというパン屋さんで働いています。お父さんはパンを作るのが大好きです。大好きすぎて外国に行って勉強していました。毎年クリスマスになると民族衣装を着たテディベアを送ってきてくれました。そのあとテストがあってお父さんはマイスターになりました。そして私が保育園に行ってる時に帰ってきました。外国にいて、きっとお父さんが1番寂しかったと思います。だって日本に帰ってきて走って私達に会いにきた時、とても泣いていたからです。その時に作ってくれたクラプフェンというジャムの入った揚げパンがとてもおいしかったです。お父さんの作るパンはとても美味しいです。私も大人になったらパン職人になりたいです」

読み終わったあと、緑は修造の方を見た。

「お父さん泣いてる」

修造の眼から大粒の涙が溢れていた。

 

 

緑ありがとう。

なんて良い子なんだ。

律子良い子に育ててくれてありがとう。

パン職人になりたいのか、そうか。

そう思うと

修造は感動してまた泣けてきた。

律子はハンカチを渡してそっと修造の手を握った。

それを見ていた〇〇ちゃんママ達は緑と修造に拍手を送ってくれた。

修造はしばらくみんなから泣き虫パパと呼ばれていた。

 

おわり


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