2021年09月17日(金)

ハートフル短編小説 アルバイトの咲希ちゃん

パンと愛のお話シリーズ

ハートフル短編小説 アルバイトの咲希ちゃん

1 今日からアルバイト

森岡咲希は東南高校の2年生になったばかりで、明るい性格の笑顔の可愛い女の子。東南駅から降りたら商店街を歩いてその先が高校だ。

「早希、今日一緒に帰ろうよ」学校の帰りに友達が声をかけてきた。

「ごめんね、今日から学校の帰りにパン屋さんでアルバイトを始めるの」

早希は緊張して心臓がドキドキした。

商店街の中にある可愛いピンクの看板のパン屋さんの名前は[パンロンド]学校と駅の間にあるから便利だ。

いつも前を通っていて、バイトしたいと思っていた早希はパンロンドのアルバイト募集のポスターを見つけて早速面接して貰ったのだ。

店内は食パンの棚や菓子パンの棚、調理パンの棚にパンがぎっしり乗っていてテンションが上がる。

お店にはみんなから親方って呼ばれてる柚木社長と、その奥さん、職人さんが何人か、パートさん、そして私と同じ年頃のアルバイトの人達が働いている。

「咲希ちゃん今日からよろしくね。お店の事はなんでも聞いてね」

「はい、奥さん。今日からよろしくお願いします」

「この子は常盤(ときわ)マリちゃんよ。同じ学年だけどここでは咲希ちゃんより少し先輩ね」

「咲希ちゃん、よろしくね、今日は一緒に仕事しようね」

「マリちゃんよろしくお願いします。仲間がいてよかった~」

早速咲希はマリに色々手順を教わった。咲希の仕事は棚にパンをを並べたり、レジで会計をしたり。パンの種類も沢山あって覚える事がいっぱいあった。

マリから教わった事をメモをして、帰ってからテストの前みたいに机の前で覚えるまで何度も見た。

 

2 イタリア料理ベッロの浪河さん

その日、咲希は学校の帰りにアルバイトに来ていた。

「アルバイトを始めてから3ヶ月。入ってきた頃よりちょっとマシになったかなあ私」咲希はパンの名前と値段を間違えない様になり商品の説明も出来る様になってきた。

出来る事が増え、毎日店に訪れるお客さんの顔も段々覚えてきた。

そこへ1人のお客さんが入って来た。

「すみません奥さん、頼んでたバゲットお願いします」

 

 

「あら、こんにちはベッロの浪河さん。咲希ちゃん、そこのバゲットをお願い」

「はい、お待たせしました。こちらです」

「こんにちは、新しいバイトの人?僕そこのイタリア料理店ベッロで働いてる浪河です」

「はい、咲希って言います。よろしくお願いします」

早希はレジを打ちながら挨拶した。すると「イケメンでしょ?」と奥さんが囁いてきた。

「ほんとですね奥さん」

確かにアイドルみたいな顔立ちの素敵な人。。

「奥さんこれ、キッチンカーマルシェのイベントなんです。ベッロも出ますので良かったらいらして下さい。この日バゲットを10本お願いできますか?」

「はいありがとうございます」

浪河はイベントのチラシを置いていった。

奥さんがチラシを見て言った。「次の日曜日、東南広場でキッチンカーが集まって自慢のお料理を出すイベントだって。行きたいけどうちも営業だから無理ね〜。残念だわ〜」

「私もキッチンカーマルシェって行ったことないです。どんなのでしょうね〜」


次の日曜日、咲希はパンロンドにアルバイトに来ていた。

日曜日はとても忙しく、電車に乗って遠くから来るお客さんもいた。パンロンドの自慢は【山の輝き】という山食パンと【とろとろクリームパン】、【カレーパンロンド】などの人気商品が飛ぶように売れ、咲希達は大忙しだった。

咲希は明るく「いらっしゃいませ~」とお客さんに挨拶してパンを並べたりレジを打ったりした。

時々「美味しいわね、ここのパン」と声をかけられるととても嬉しく「ありがとうございます」と笑顔がこぼれた。

「咲希ちゃん、バイトの帰りにキッチンカーマルシェに頼まれた追加のバゲットを持っていってくれない?」

「はい、奥さん。もう終わるので私持って行ってから帰ります」

咲希はバイトの帰りに東南公園に行き、キッチンカーが10台ほど並んでる中からベッロの浪河を探した。

「えーと」

「咲希ちゃんこっちだよ」

「こんにちは、忙しそうですね」見るとベッロの車にはお客さんの行列ができていた。

「1人なんですか?私手伝います」忙しそうな浪河に声をかけた。

「ホント?咲希ちゃん助かるよ」

咲希はもう一度パンロンドのバンダナとエプロンをした。

キッチンカ―の中は狭いが調理に必要なコンロやシンク、パンをカットする台もある。

「わ~!キッチンカ―の中ってこんな風になってるんですね~」

「そうなんだよ。結構充実してるだろ?」浪河は優しく笑った。

咲希は手袋をしてバゲットをパンナイフでカットしたり、浪河の出したボロネーゼとサラダを紙の持ち帰り用のパックに詰めてフオークとおしぼりをお客さんに渡していった。

「咲希ちゃん、これで売り切れで販売終了だからね」浪河はパックにパスタとサラダを詰めて渡した。

「はい、浪河さん」咲希はカットしたバゲットを一緒に添えて蓋を閉め、最後のお客さんに渡して明るく「ありがとうございました~」と言った。

「ありがとう咲希ちゃん凄く助かったよ。お礼に今度ベッロで僕がご馳走するよ。シェフにそう言っておくね。」

「えっ!いいんですか~!私、イタリア料理屋さんに行くの初めてなんです。」

「ほんと?気に入ってくれるといいけど、じゃあ明日学校の帰りにおいでよ」

「はい」咲希は最高ににっこりした。

咲希は次の日の夕方一人でベッロを訪れた。

ベッロはオーナーの長田シェフと調理人が2人と浪河が働いている。

お店は少し暗くてブラウンが基調の大人の雰囲気、シックな調度品が置いてある。10組ぐらいのお客さんが入れそうだ。

咲希は高級そうなテーブルに案内され、赤いビロードが背もたれの椅子に座った。

アンティパストのブルスケッタのパンは咲希ちゃんの店のバゲットを使ってるんだよ」前菜を出しながら浪河が説明した。

ブルーのガラスの皿に上品なサイズのモッツアレラチーズ、サーモン、バゲットにトマトがのったブルスケッタの三品が咲希の前に置かれた。

「全部おいし~!これガーリックとトマトの味が美味しいです。パンに合いますね」咲希はブルスケッタを手に取って食べながら言った。

トマトとニンニクのシンプルな組み合わせなのにこんなに美味しくなるんですね〜」

波河は美味しそうに食べている咲希を見てニコニコして言った。「昨日は咲希ちゃんに手伝って貰って助かったよ。あんなに一生懸命手伝ってくれて感謝してるよ」

浪河は特製のキノコのスープを持って来た。「これ僕が作ったんだよ、マッシュルームのポタージュに最後にバターと生クリームを使ってるんだ」

咲希は茶色い小型の器に入ったボタージュをスプーンですくって食べた。キノコの風味とバターの濃厚な味わいがなんとも美味しい。

「これも美味しいてす〜。浪河さんって天才じゃないですか?」

「そんな事ないよ。僕はここのシェフの味に惚れ込んで弟子にして貰ったんだ」

「素敵なお話です。」

「咲希ちゃんもパン屋さんで働いてる時楽しそうだね。」

「はい、私パン屋さんがとっても好きなんです。失敗する時もあるけど、パンを選んでる時ニコニコしてるお客様を見て、あ〜いいなぁ〜って思って」

「そっちの方が素敵な話だよ」浪河はニッコリ笑った。

咲希は、厨房で働く浪河を見て思った。「そっちの方が素敵よ」

ボロネーゼとティラミスまで出して貰い心づくしのお料理に感動した。初めて垣間見る大人の世界でもあった。

「お店の方にもこんなにして頂いて申し訳ないわ」

「浪河さん、こんなにご馳走になってしまってホントありがとうございます。また何かあったら私手伝いますから絶対言って下さいね」

「ありがとう、咲希ちゃん。また頼むね」社交辞令かもしれないが浪河はそう言ってにっこり笑い、咲希はみんなにお礼を言って浪河に出口まで送って貰って帰った。

 

3 浪河さん浪河さん

今日は食パンの注文が沢山あって朝から大忙しだった。咲希は食パンを袋に入れて段ボールに詰めたり、レジや品出しをして頑張っていた。

「もう、、」

あれ以来浪河が頭の真ん中にいて何をしても思い出す。

右のものを左にやっても、何かを袋に入れても、何かを運んでも、、、

まるで浪河の写真が目の前に張り付けられているみたいだった。

「はー」みんなに分からない様にため息をついた。

浪河さん素敵だったな、そう思っていると浪河が入って来た。

咲希はドキッとした。

「こんにちは奥さん、頼んでたバゲットを受け取りに来ました」

「こんにちは浪河さん」

「咲希ちゃんこんにちは」浪河にバゲットを渡した時、目が合って顔が真っ赤になった。

(浪河さんに見られたら最高に恥ずかしい。。)

咲希はトレーで顔を隠しながら「こないだはありがとうございました」と言った。

波河は咲希の方を見てにこっと笑って「こちらこそありがとう」と言いながらキッチンカ―マルシェのチラシを出した。「奥さんまた今度の日曜バゲットを20本お願いします」

「分かりました。日曜は忙しくて行けないけどごめんなさいね~」

「はい、大丈夫ですよ。お忙しいんですから気になさらないで下さい」

「これ、店の中に貼っておくわね」

「ありがとうございます」そういって咲希に手を振って店を出て行った。


次のキッチンカーマルシェのある日曜日、咲希は浪河に見られない様にそーーっと様子を伺った。

以前と同じように東南公園にはキッチンカ―が10台ほど並び、色々な料理やデザートが売られている。

浪河は1人で作って販売していて、お客さんの行列ができていた。

どんどん列が長くなっていく。

「どうしよう、恥ずかしい。でもこのまま帰れない」

早希は思い切って浪河に声をかけた。

「浪河さんこんにちは」

「あ!咲希ちゃん」

「私、手伝いに来ました!私前より慣れてきたと思います」

「バイトの帰りで忙しいんじゃないの?ごめんね咲希ちゃん」

「いえ、いいんです。この間ご馳走になったから今日はお礼はいいですからね」咲希はエプロンをしながら言った。

「2回もごめんね咲希ちゃん」浪河はフライパンにパスタとミートソースを合わせて温めて咲希に渡した。

咲希はもう慣れた手つきでバゲットをカットしていき、パックにパスタとサラダも盛り付けて、お客さんに渡していった。

 

紫のコックコートでビシッと決まっている浪河の横顔を見て、浪河さんやっぱカッコいい、と早希はまたキュンとした。

「手伝いに来て良かったです」

「咲希ちゃん、今日偶然じゃなくて心配して手伝いに来てくれたんだね。ありがとう」

咲希は顔が真っ赤になってしまった。

「咲希ちゃんっていつも一生懸命で明るくて好きだなあ」

「浪河さんっていくつなんですか?もうずっとイタリアンで働いてるんですか?」

「25だよ、僕から見たら咲希ちゃんは超若いよ。僕も時々学生に戻れたらなあ」

「学生の時楽しかったですか?」

「うん、テニス部だったんだよ。その後料理学校に行ってね、あの頃は料理人になりたかったんだから夢かなったんだ。それなのに昔に戻りたがるなんておかしいよね」

「うふふ」

「僕はもっとスキルアップして色んな事を覚えなくちゃと思ってるんだよ」

「波河さんなら絶対美味しいイタリアンのお店ができますよ、お料理超美味しかったですもの」

「ありがとう咲希ちゃん」

咲希は浪河の事が少しでも分かって嬉しかった。

もっと色んなことが知りたいな。

売り切れになって2人で片付け、浪河は車で店に帰って行った。それを見送った帰り道、早希は「好きだなあ」のところを何度も何度も思い出していた。

 

「咲希」

呼ぶ声に振り向くと、サッカー部の試合帰りの佐久間早太郎(さくまそうたろう)が並んでついて来ていた。

早太郎は1年の時大阪から引っ越して来た。咲希と同じクラスで席がななめ後ろの仲良しで、色が浅黒く歯が真っ白だ。

「どこ行くの?」

「帰るところ」

「今日試合やってん」

「そうなの」

こないだまでは試合応援に来てくれてたのに最近来ないやん?バイト忙しいの?」

「バイトも忙しいけど、今日はキッチンカーマルシェのお手伝いに行ってたの」

「へぇ!何するの?販売?楽しそうやなあ」

ベッロって言うイタリア料理のお店を手伝ってたの。楽しかったよ」

早太郎は咲希が前と違うと気がついた。

何やろうこの雰囲気。

ひょっとして好きな人でも出来たんやろか。

それって俺とちゃうんか、、

咲希と早太郎は言葉少なに駅まで歩いた。

駅は乗客で混み合っていて2人は挨拶の声も聞こえず咲希は一番線の、早太郎は二番線の電車に乗りそれぞれの家に帰った。

4 早すぎるさよなら

次の日のバイト中、マリちゃんが聞いてきた。

昨日浪河さんを手伝ったんでしょ?どうだった?」

「どうって、、」咲希は浪河さんと聞いただけで真っ赤になった。

「素敵だった!」2人でウフフと笑っていると、浪河がバゲットを買いに来た。

「こ、こんにちは浪河さん」

「こんにちは、こないだはありがとう」浪河は丁寧にお礼を言った。

そしてレジの後ろにいた奥さんに声をかけた。

こんにちは奥さん。僕、もうすぐ修行の為に福岡のイタリア料理屋さんに行く事になりました。前から打診していたんですが、急に向こうのシェフが職人に空きが出たから来てもいいって。さらにもっと勉強したいので、向こうに行ったらそのうち店を持てる様に修業して頑張ります」

それを聞いた咲希はショックでトングをカランと落としてしまった

奥さんはそれを見て「いつ出発するの?見送りに行ってもいいんでしょう?」と咲希に聞こえるようにやや大きめの声で新幹線の日時を聞いた。

マリちゃんが聞いた「修行って?今の店でもできるのになぜ遠くに行っちゃうんですかぁ?」

今度の店のシェフはまた違ったセンスの持ち主なんだ。僕はその人の技術を見て勉強したいんだ」

浪河の決意は固い様子だった。いつか店を持つなら色んなシェフの技術を学んでおきたい、浪河はそう思っていた。

咲希は去って行った浪河の後を立ちつくして見ていた。


月曜日の2時間目は古典の時間だった。先生が本を読み上げている間、咲希は波河の事しか考えていなかった。もうすぐ会えなくなるなんてショックが大き過ぎる。きっぱりした態度の浪河が悲しい。

早太郎は咲希の右斜め後ろの席から先生にばれない様にこっそりメモを渡してきた。

元気ないんちゃう?どうしたん?』

咲希もこっそりメモを書いて渡した。

波河さんって人が福岡に行ってしまうの。明日見送りに行く』

咲希は正直に早太郎に答えた。誰かに知って欲しい気持ちがあった。

『明日!部活ないから俺も一緒に行ったるわ。心配やし』

何が心配なのよ』

『それはまあええやん』

夕方、パンロンドに行く時、ベッロの前をわざとゆっくりゆっくり歩きながら店の中を覗いたが浪河はもういなかった。

明日会えなければ波河さんとはもう会えないんだ。咲希は胸が張り裂けそうになった。

咲希に気が付いたベッロの長田シェフが中から出てきた。

「咲希ちゃんこんにちは。波河はもうここにはいないんだよ。料理人にはよくある事なんだ。俺も若い時はあちこちで修行して自分の味を探したもんだよ」

残念だけど仕方ないね」

「仕方ない、、」早希は呟いた。、

仕方なくなんてない。

明日自分の気持ちを伝えなくちゃ。

浪河さんは私の事をどう思ってるんだろう。

福岡に行く事を私にでなくパン屋の奥さんに言った。

直接聞きたかった。

でも聞きたくなかった。

 

5 新幹線のバカ

次の日、波河は部屋の荷物を全て福岡の引越し先に送り、自分も部屋を出た。

電車の中で長田シェフにラインした。

『色々と教えて頂きありがとうございました。ベッロで教わった事は決して忘れません。更に技術を磨いてシェフに負けない様な料理人になります。』

電車に揺られていると、波河は咲希の顔が浮かんだがすぐに打ち消した。

「咲希ちゃんも元気でね」そう呟いた。

新幹線のホームで博多行きの新幹線のぞみを待ってると咲希がやって来た。

「浪河さん」

「あ、咲希ちゃん、見送りに来てくれてありがとう」

咲希はピンク色でフリルの沢山ついたブラウスを着ていた。それが浪河の目にはとても幼く見えた。

「私、浪河さんから直接福岡に行くって聞きたかったです。私浪河さんの事が好きです」

浪河は少し困った顔をした、傷つけない様に考えた。もし自分がこのままベッロで働いていたなら何度も会っているうちに好意を持っていたかも知れない。

バイト代貯めてお店に会いに行っても良いですか?」

その時ホームにのぞみが入って来た。ざわざわと多くの人が乗り降りする、浪河も新幹線の入り口に立った。

 

 

咲希がじっと見つめている。

「いつも一生懸命な咲希ちゃん」

波河は咲希に何か言いかけたがやめた。

そして後ろにいて咲希を心配そうに見つめる早太郎に気がつき「咲希ちゃん、後ろをみてごらん」と言った。

咲希が後ろを見た時、新幹線のドアが閉まった。

「波河さん」

浪河は閉まったドアの窓からにこっとして手を振った。

そしてそのまま新幹線はスピードを上げ、咲希を残して行ってしまった。

走り出した新幹線の通路をゆっくりと歩き波河は席に座った。

街中を過ぎ、新幹線が山間部に差し掛かってトンネルを通る時、窓に車内がはっきりと映る。

窓に映った自分の顔を見つめながら、「咲希ちゃんごめん」と呟いた。

そして明日への希望と不安の入り混じった自分に気がつき「もう戻らない」と握り拳に力を入れ、自分を奮起させた。

 

1人駅に残された咲希は涙が止まらなかった。「波河さんが行っちゃった」

咲希は生まれて初めてこんな辛い事が起こった。

 

6 海はただキラキラして

浪河を乗せた新幹線が行ってしまったホームを、泣きながらトボトボ歩く咲希の後を早太郎はついて行くしかなかった。

(どうするねん俺!なんとか咲希を元気づけなあかん。

こんな時どうしたらええねん。。そうや海や!港や!)

早太郎は咲希を電車に乗せて綺麗な景色の見える港に連れて行った。

「き、綺麗やな〜」

港にある公園には色々な種類の花が咲いていて、そこから見える海は静かでキラキラと太陽を反射して輝いている。

花壇と花壇の間にあるベンチに咲希を座らせた。

咲希は浪河との別れが急すぎて辛く、瞳から大粒の涙がぽたぽたと溢れ出ていた。

「咲希、元気出して。咲希が辛そうやと俺も辛いわ」

なんでも聞いたるからとりあえず口に出して言ったら気が楽になるで」

「私、、」

咲希は自分の心境について言いかけたがそれより涙の方が多くて喋れない。

話そうとするとそれが嗚咽に変わる。

それを見た早太郎は焦って知恵を絞って必死で考えた。

(そうや!こんな時は甘いものや!近くに親父の知り合いのパン屋がやってるカフェがあったな。)

「咲希、ちょっと待っててな」と言って急いで走ってカフェに入り、テイクアウトの可愛いパフェとコーヒーをトレーにのせて、今度は落とさない様に慎重に持ってきた。

カフェで沢山貰ってきたおしぼりと紙ナフキンで咲希の顔を拭いた。

「ほらこれ見て」

紙のトレーにパステルブルーのセロハンが敷いてあり、その上に小さなパンケーキとフルーツがのっている、そして白いアイスクリームはプードルの顔になっている。

「これ、可愛いなあ!」

咲希はパフェのあまりの可愛さに少し「ウフ」ととなった。そしてそのままひと口、ふた口と食べ出した。

(おっ!良かった!やっぱ甘いもんはええなあ!)

「美味いなこれ。可愛いし」

そして咲希を笑わせる為に思いつく限りの面白い話やモノマネをしてみせた。

サッカー部のコーチのモノマネや数学の先生のモノマネは早太郎の鉄板ネタだった。

咲希は凄く気落ちしていたが、早太郎のモノマネにとうとう少し笑ってしまった。

「ウフフ」

「早太郎ありがとう」

2人は爽やかな風の吹く港を歩いた後帰った。

 

7 頑張れ早太郎

咲希はしばらく元気が出なくてマリやパン屋の人達を心配させた。

元気出さなきゃ。私の事と仕事の事は別なんだから、パンを買うお客様には丁寧に接しよう。そう思い、マリが渡して来た新商品の乗ったトレーを元気よくお客様に紹介した。

「こちら新商品のフルーツサンドです!いかがでしょうか〜」

それを見て沢山のお客さんがフルーツサンドをトレーにのせた。

美味しそう」

「元気で良いね」とお客さんも声をかけてくれた。

元気に振る舞い素早く動いていると本当に元気が出てくる気がする。

閉店間際になり片付けていると、マリが咲希の腕をツンツン突いて「来たわよ」と言った。

最近サッカー部の帰りに早太郎がよく来る様になった。

「なによ来たわよって」

早太郎はわざとゆっくり店の中をまわってパンを見ている。

「咲希、バイトがんばってるな」

「そう?」頑張ってる方が気が紛れる。家にいて自分の部屋にいるとまだまだ浪河の笑顔を思い出して喪失感から涙が溢れる時があるからだ。

マリは「閉店はあと10分ですよ」とわざと言った。

ほんまか、ほな駅まで送ったるわ。危ないし」

「1人で帰れるもん」

「まあええやん」

パン屋から駅まで10分程、早太郎は咲希に今日起こった面白い事を色々話して見せた。

気落ちしていて、咲希は付き合いで笑う時もあるが本当に早太郎って面白い。特に物まねが上手くて笑ってしまう。

「早太郎は面白いから将来はお笑いの人になったら?人を楽しませるのが向いてるのかも」

「早希、俺はお前にだけ特別大サービスでネタを考えてんねん」

「え?」

「俺はお前の笑った顔がええねん」

その後は2人で黙って歩き、人々が行きかう東南駅に着いた。

早太郎は駅のホームの反対側から

「ほな明日なー!」と手を振った。

咲希は電車に揺られて、夜の街の灯りを見ていた。

早太郎ありがとう。でも私、そんな気持ちに全然なれない。

 

 

8 揺れる麦の穂と青空

次の日は学校の校外学習で咲希達は農業体験の小麦栽培コースに出かけた。

山合いを抜けると大きな小麦畑が広がっている。

小麦畑とはいってもまだ背は低く、写真で見るような真っ直ぐに伸びた青々とした小麦とは違う。

この畑は一年の内、冬は小麦栽培、そのあとは稲作に使われていると聞いた。「では班ごとに分かれて農家の方のお手伝いの為に麦踏みをお願いします、農家の方の説明をよく聞くように」先生が大きな声で言った。

「こんにちは皆さん、麦踏みは倒圧(とうあつ)と言ってまだ若い小麦を足で踏みつける作業の事で、株分かれを促進してより丈夫な麦に育てるのが目的です。皆さんお手伝いして下さって助かります。それでは手分けして、まだ背の低い麦を根元から踏んで行って下さい」

列になって並んでいる小麦はまだ背が全然低く、雑草と見分けが付かなかった。教えられた通りにまっすぐ並んでいる麦を踏んでいくうちに要領がわかって来た。まだ地面からそんなに背が高くなっていない麦の真ん中を足で踏んでいく。

 

咲希は無心になって麦踏を続けるうちになんだか心が軽くなって来た。

咲希に並んで早太郎が向かいの列で麦を踏み始め、色々話しかけてきた。「咲希、こうすると早くできるで」反復横跳びの要領で麦踏みを初めて「そこ!ちゃんとやりなさい!」と先生に注意された。

「テヘヘ」

先生には叱られちゃったけど、みんなと笑い合う早太郎って明るい良いキャラだなと咲希は思った

 

8 本当の事

学生達の為に、小麦農家のおじさんはピザを振る舞ってくれるそうで、みんな薪の燃える窯の周りに集合した。

「誰か具を乗せるのを手伝って下さい。」

「はーい!俺やります!」早太郎は手際良くトマトソースを塗り、玉ねぎを並べてチーズを乗せた。

「早太郎うまーい!」咲希はちょっと驚いた。早太郎を真似して他のクラスメイトも手伝い出した。

トッピングの終わったピザ生地を農家のおじさんはピールという木のスコップに乗せて奥の両脇で薪の燃える窯の真ん中に滑らせた。薄いピザ生地はみるみるうちに色が着いて美味しそうに焼けてくる。

おじさんがピザを窯から出すと早太郎がピザカッターでカットして振り分けた。

「はい」

「はい」

咲希も受け取った。

班のみんなと座って食べる焼き立てのピザは格別だった。

「ほんま自然はええなあ。癒されるわ〜」とピザを食べながら言う早太郎に同じ班の真部が「早太郎って進学しないで実家のパン屋さんを継ぐんでしょ?」と聞いた。

「俺、パンの専門学校に行こうか思てんねん」

「えっ早太郎の家ってパン屋さんなの?」

そうやねん。大阪からこっちに来てパン屋を開業してん。知らんかった?」「それなのにいつもパンを買いに来てくれてたの?」

「それは、、また別やん。学校の帰りやし、それに早希のとこのパン美味しいし。イキイキと可愛い店員さんもおるしな!」

「そうだったんだ。ねえ、今度からこっちに来なくてもいいよ。私が早太郎のパン屋さんに買いに行くね」

「えっ!ほんま?待ってるで」

「いつ来る?俺もその時お店におるわ」

その日1日早太郎の大きな声が小麦畑に響いた。

 

おわり

アルバイトの咲希ちゃん 読んで下さってありがとうございました。

早春に踏まれるほどに丈夫になる小麦の様に咲希ちゃんも心のたくましい女性になっていってくれるかも知れませんね。

麦踏の後、小麦は株分かれして、背が伸びすぎるのを防ぎ根の張りが良くなります。やがて青々とした小麦に育つのです。


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