2011年08月03日(水)

グロワールというお店について書いてみました

こんにちは。今まで余りグロワールや店長について書いたことが無いので、今日はこのブログを書きます。

初めは大宮木村屋

グロワールは今年51年目を迎える、大阪の下町にある小さなパン屋さんです。

近所には千林商店街という長いアーケードのたいそう賑わっている商店街があり、国道1号線を挟んで反対側の大宮商店街の中にあります。

グロワールの初代は木村屋で修業後、この地にやって来て沢山のパンを作り、長く町の人達に愛されてきました。

途中でグロワールキムラヤという屋号になりました。
勿論51年の間には様々な事があったと思います。

昔ながらのパンを焼き

特に白く柔らかいパンや、中に甘いフィリングの入ったパンが好まれる地域柄です。
沢山の年代の方に好まれる様に、新しい物はどんどん取り入れる時代でもありました。

大量に菓子パンを発酵させるので、発酵してる間も焼いてる時ももちろん口の中にいれた瞬間も、アルコールののこした芳香がフワーンとしていて、1日に沢山のお客様に暑い日は暑い暑いと、寒い日は寒い寒いといいながらも毎日のように来て頂きました。

ここのパンは美味しいね~そう言って下さるお客様の笑顔 笑顔、良い時代でした。

グロワールキムラヤへの思い

初代には3人の娘がいました(私は3番目)。

3番目の娘は皮肉な事に小麦粉アレルギーでした。
別になりたくてなった訳ではありませんが、育てるのは大変だったろうと思います。

1番上はパン屋さんと結婚しました。
2番目は粉問屋さんと結婚しました。
残った私は当時、子供服のワンポイントをデザインする会社にお勤めしていて、夕方会社から帰ると、職人さんが帰って半分電気が消えた工場で、父(初代)と母が2人でアップルパイを作っていました。

その時の光景は今でも忘れません。

そのアップルパイはパイとデニッシュの間ぐらいの生地にカステラを敷き詰め、シロップを沢山塗り、シナモンの絡めたりんごを溢れるぐらい乗せ、上に生地を編み目にかけて焼き、焼き上がりにシロップをまたたっぷり塗るのですが、父は戦後の甘い物に飢えた世代ですし、「利益はすべてお客様に還元する」が信念でしたので、今の「甘くなくて美味しい」という表現とは少し違いましたが、食べるとシナモンとシロップを含んだカステラがりんごと口の中で一体になり 、それはそれは美味しかったのを覚えています。

後を継ぐものがいないとこのグロワールの味が絶えてしまう 、逼迫した何かがいつも胸の内に重くありました。

そうこうするうちに初代は心臓が悪くなり、ペースメーカーを入れ工場に入れなくなって、後は職人さんが細々と続けていました。

出会い

そんな時私にある出会いがありました。

一人暮らししていたマンションの近所にイタリア料理屋さんがあり、そこに人気のケーキを作る職人さんがいました。

お店の前には小さいですがオシャレなケーキのショーケースがあり、その中はその人のこだわりのマイワールドが完成していて、随分ファンの方もいた様です。

ある時食事の後でデザートにケーキが出てきましたが 、クランベリーのムースが入ったロールをカットしてトッピングに生とフルーツ、ミントが飾られておりムースの中にもカットしたフルーツが入っていました。

私はそのケーキを食べながら少なからず感動し、このケーキを作った人は自分の理念があり それを表現する為に努力を惜しまない人だ。。。。

店員さんに作り手のことを尋ねると、あっちでケーキを作ってるので見に行ってくださいと親切に促され、顔を見に行きました。

その人はケーキ専用の小さな工房の中で、フルーツを沢山盛りつけた大きめのタルトを作っていました。
ガラス越しにその人と目が合いました。

ニコッと笑ったその顔を見て霊感の少なからずある私はこう思いました。
「あら、私この人と結婚するわ」

ガバッと大幅に省きますが、その職人さんがグロワールの2代目です。

店長という人

店長(2代目)は広大な大地の広がる熊本から結婚式場太閤園に修業に来て、フランス料理部門に5年、パン.ケーキ部門に5年いました。
その後イタリア料理屋さんに来て、ケーキを作っていたのです。

跡を継ぐに当たってはホントに色々な困難がありました。
様々な軋轢や誤解、思惑など、よくそれらの出来事に行く手を阻まれましたが、なんとかやってこれたのは2人でいても苦にならず、いつも話し合えたことでしょうか。
お互い歩調をあわせ、沢山ある山を越えてきた気がします。

私はグロワールキムラヤの味を絶やしたくはありませんでしたが、前の事を引きずるのは決して正しい事ではない気もしていました。
50年前のやり方ではいつか時代とともに消えていくでしょう。

思考錯誤を繰り返し新しい「グロワール」を作っていく事、そしてそれを実行するにはどうすればよいのか2人でよく話をします。
それはプチ会議の様でもありますし、語らいの様でもあります。

以前は職人さんに頼んでも赤の他人だし、時間内の作業だからとかいうことで中々実行できないようなことでも、店長なら私が遠慮して言い出せないような事も自分から思いついて言ってくれる。これは本当に嬉しいことです。

ブログでカッコいいことを書くなといわれそうですが、この人の為に生きよう、いつしかそんな思いが芽生えてきました。
努力家で丈夫でいつの間にかどんどん実行し実現するこの男の作るパンを、小さいながらもやっていくこのお店に来てくれるお客さんに、ひとつでも一口でも食べてもらいたい。
お店でも、スーパーの出張販売でもいつもそう思って試食も食べて貰っています。

伊勢丹でもパネトーネ種を使ったデニッシュタイプの食パンを多くの人に食べてもらいました。
沢山の方に買っていただきました。

皆さんは肥後もっこすと言う言葉を聴いたことがありますか?
頑固者という意味だそうですが、これは熊本県の言葉で良い様に言えば、石に噛り付いてでも最後までやり通す人のことらしいです。

グロワールのお客様

グロワールが改装してもうすぐ3年たちます。
商店街のパン屋ですので、小さなお子さんから若い世代、お父さんお母さん、お年寄りまで幅広いお客様が来られます。

もう長くやっていますので毎日お店に立っていると、ちびっ子がよくパンを買いに来てたのにいつの間にか大人になってヒゲが生えてきたなとか、ああいつの間にかOLになったんだとか、結婚して子供が増えてきたり、引っ越したり里帰りしてきたり、孫の世話に明け暮れたり、色んな人のいろんな人生、毎日の出来事をつぶさに見る事があり、いつもその生活にグロワールのパンも度々登場していたと思います。

毎日来てくれるおばあちゃん達ありがとう、いつまでも元気でいてね。
本当は皆ほっぺに頬ずりしたいくらい大好きですよ。

時々柔らかくてしわの沢山刻まれた手を握って入り口まで見送りながら、口には出さないけど心の中ではそんな事をよく思う。そんなお客様の為に今までのパンを作り、そして新しいグロワールの為に店長のパンもどんどん作る。今はスタッフにも恵まれているし感謝しています。

これからも

別にマスコミの好むパンがあるわけでもなく、パン通が通う店でもないけど、地域のお客さんを大切にしてこれからもやっていこうと思います。

明日も店長はパンを作り、私はそれ以外の仕事をするでしょう。

お近くに寄られた時は是非お越しくださいませ。
心よりお待ち申し上げております。


top